caprinのミク廃更生日記

初音ミクやVocaloid、ゲームやアニメのニュースサイト

席を譲るor譲らないの話

http://rakudaj.seesaa.net/article/3130212.html


・You Know You’re Rightさん

http://d.hatena.ne.jp/yukke50/20050428

お年寄りの皆様へ
優先的に席に座れるという時代を享受しているお年寄りの皆様。
本来若者の善意の元でその行為が成り立っている事を忘れている方はいませんか?
そんな方にはもちろん席など譲りません。
その価値がある人にだけ譲らせていただきたいと思っております。

・castleダイアリーさん

http://d.hatena.ne.jp/castle/20050428

感想は出揃ったみたいなので一つ構造的に考察してみたい。

問題は、権威の混乱によって引き起こされたものだろうとみる。もう少し言うと、これは当事者の老人と若者の問題ではなく、この電車内でのエピソードを知った人々の総体的な反応こそが注目すべき面白い点なのだろうね。車内のとある慣習を巡る一悶着に対して、肯定派と否定葉が五分五分に分かれた様相を呈している。この両陣営、どういう論理で分かれるのかというと、老人と若者のどちらが正しいか、ではなく、どういう思考の筋道を辿って支持、不支持を決めたか、という思考の過程にこそ見るべきモノが存在する。つまり、ライヴドアのフジ買収騒動で見られた合理性と伝統性のケンカなのである。

思考様式――自分の世界観を支える重要な《思想の背景》の差異が人々の中に発生しつつある。その違和感がにじみでていることこそこのエントリーに人々をひきつけている理由なのだろう。

できるだけ噛み砕いて表現してみると、一つの思想背景は、筋を通りしてより効率的で革新的な発想こそ最良とする思想である。ただし、合理性を通せる人間が強く、強ければかなり我侭も認めろというという個人主義的な要素とワンセットになっている。現在は個人主義の制御を欠いた片手落ちな合理主義である。

もう一つの思想背景は、集団なり社会なりで一定の場の全体で共通の答えを用意してソレに全員で従おうとする態度こそ最良とする思想である。社会を制御する約束事はその専門の偉い人々が決めてその専門性を信じて従うことで社会的に良い環境が保たれるという発想だ。専門性は伝統や権威という形で権力化されるが、それゆえに個人の発見した合理や革新性が効力を発揮し辛かったり、成果の発露が遅かったりしてしまう。

昔は後者が世間では圧倒的に強かった。だが現在、前者の個人による合理的な結論に基づいた振る舞いの発露が肯定されるように社会全体で認識の変容が始まってきている。この電車内でのやりとりを巡る言説についても、その化学反応の過程において現れた現象の一つだといえる。

服従すべき権威が世代を通じて共通性あるものとして構築する事に失敗している。失敗ではなく新しい権威の台頭なのだ、と言い換えることもできるが、実際には無理があるだろう。たしかに新しい権威は出現しているだろうが、ソレは勝手に増殖しているだけであって、けして意識的にコントロールされているものではないからだ。よって、失敗と評した方が現状の表現にはあっていると思う。

 わかりやすく説明してくれてとっても良かった。


 自分はこのエントリはいまだひっかかっている。
 グラサン男を支持する若者の、グラサン男の方が「理論的で正しい」というのは確かに理屈ではそうかもしれない。整合性の勝敗なら「8:2」で若者の勝ちにしてもいい。でも理論的で正しいならば、非はこちらには絶対無いと言い切れるのだろうか!? 私にはいまだ「うん、若者が正しい。なので、席は譲らない。」というなぜか絶対的な自信で言い切る若者に、その自信の根拠を聞いてみたいのだが、それを明確に答えられる若者の論調がいまだに見つけられないのだ。(この対立の構造を分かりやすく説明してくれる多分若くない!?失礼、いや、つまり知識人の文章はいっぱいあるのだけど。)
 こちらとしては、「うん、若者が正しい。でも、席は譲る。」というちょっとした譲歩、ちょっとした余裕のある答えだとまだ救われるのだけど、この今の若者の余裕の無さはいったいなんなんだ!?

 その流れで年金問題も考えてみる。まず、「今の年金問題は、これを放置した奴が悪い!!」というのは、若い人ほど大いに吼えたらいい。「今の年金制度では駄目だ、小泉を倒そう!!」なら、もっといい。旧世代のしがらみを壊すのはいつも問題意識を持った若者だからね。でも、実際にはあまりそうはならなくて(若い人ほど、選挙にも行かないんだから)、なぜか飛躍して「年金問題は、もらっている老人が悪い。」となる。この論理のすり替えがいつどこで起こっているのか!? そしてしまいには「若い我々には責任が無い」といいつつ税金を払わない奴が、ニートをしつつ毎日ファミレスでだべっているわけだ。そりゃファミレスでだべっている隣の奴が働きもせず、消費だけはしっかりし、税金を払わないのなら、そりゃ払っている方の負担はその分大きくなるのは当たり前だよ。でも、不思議なことにこの税金を払っている真面目な方の若者は、ニートの方には意見しないんだよな。キレられるのが怖いのか、本当の友達じゃないのか!? 縦の繋がりはあまり持たないけど、横の繋がりは大事にする。でも、その線は大事にしすぎて切れそうになってないか!?

 極端だけど他にも展開していくと、「あの上司のやることは間違っているので、従わない。」「あの公園にいる浮浪者は働いていないので悪だ、殴ろう。」「中国・韓国人は馬鹿だ、氏ね。」等々、理論的にあっていてもそれで社会は回っていかないよなあ。今日も、電車内で化粧していた女の子が注意した人に逆ギレして傷害罪で捕まった。私の同期の学校の先生は、「今の子供は怖くて、本気で怒れない・・・。」と悩んでいた。若者はいったいどこから来てどこに行くの!? 明確に分からないから気持ち悪い。ただ、誰も年をとっていくことだけは確かなのだが・・・。


・ヒゲH・I・G・E雑記さん

http://d.hatena.ne.jp/terasuy/20050428

はっきり言って僕は若者擁護派です。
だからと言って僕がお年寄りに席を譲らないわけではないですよ。
気付いたら譲るように心掛けていますから。

こういう話でよく出てくる言葉が「昔はどうたら」「私らの時はどうたら」というもの。
そして批判されるのはいつも若者。
でもよく考えてみてください。お年寄りの世代を僕らの祖父母の世代だとします。
僕らの親がお年寄りの子供の世代ですね。
僕ら(若者)を育てたのは誰でしょう?僕らを育てた人を育てたのは誰でしょう?
こんなのただの屁理屈にしか聞こえないと思いますが、事実若者を作り出したのは他ならぬ高齢者世代の人達なのです。
直接的に関与しなくても、今の若者を育てたのは高齢者達であり、高齢者が築き上げたこの世の中なのです。
それが年金問題であったり、高率税金社会であったりと、僕らは言ってしまえば受動的に方向性を決められていたのかもしれません。
僕らに意思がないとかそういう壮大な話ではないですが、無意識的に若者社会を国つまり高齢者が作り上げた事になるわけです。

若者にも大きな非があるとも思いますが、傲慢なお年寄りにはもっと非があると僕は思いました。
軽く腐ってしまった社会を変えるのは僕ら若者世代だということも理解した上での駄文でした。

 うん、社会を変えてちょうだい。いや、むしろ自分も微力ながら努力いたしますので、みんなで変えましょう。