caprinのミク廃更生日記

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気になる話が… (振り逃げプロ野球)

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もちろん、世界の貧しさは、ほっとけない状態であるのは確かです。
私は力もお金もないので、少しの協力しか出来ません。(コンビニの募金箱の小額。本当に寄付されているのかはわからないが、自分で身銭を切っても後悔しない額なので、納得できる)
ですが、突然たずねてきて、人の善意を試すように、「寄付を兼ねた商品購入」を迫ったり、人の善意である募金をしかるべきところに寄付もせず、自分の懐(ふところ)を暖めていた詐欺事件があったり、と。
なんか、いやな気持ちになります。

子供のころ、ボランティアって、胡散臭いと思っていた。
有名人がやっていると、売名行為のように思っていた。
高校時代、バスで下校しているとき、友人に、
「ボランティアをやるというのは、直接行って、井戸を掘ったり、食べ物を渡したりすることが本当のボランティアで、お金を寄付する方法だと、本当に目的のところに行っているのかわからないから、そういう募金はあまりしたくない」
と熱弁をふるったことがあった。
大人になって、
「売名行為の募金であっても、しないよりはマシ」
と思うようになり、今は、小額程度ではあるが、たまに募金をしている、というのが、私の考え方です。

しかし、募金詐欺ホワイトバンドの一件はまた、ボランティアをすることとは、ということを考えさせられる出来事ですね。
ボランティアは自分の出来るスタンスでやりたい。
それが微力であっても、確実なところに使ってほしい。
こういう闇、あるいは灰色な感じだと、一体どうすればいいのか、わからなくなる。

 自分のボランティアの認識もこの人の意識の流れに近いと思うので参照してみる。
 この人のおっしゃるとおりで、「売名行為の募金であっても、しないよりはマシ」なんだよなあ。で、そういう人それぞれが、ある一定の結論にいたるまでには、気持ちの中にいろいろ葛藤や変化があると思う。だから、まだ大人ではない人には今回のホワイトバンドの件は今の気持ちのありのまま、いろいろ考えてみるとおもしろいかもしれない。私の一意見ではこのホワイトバンドは貧困国のためにはならないと考えるが、それでもあえてホワイトバンドをするという人の行為は認めてあげないといけないのかもしれないが…。
 ま、今回のことは、自分にとっても「ボランティアをすることについて」「貧しい国を考える」という意味で良い機会となったと思う。そういう意味でいえば、このホワイトバンドの現象も意味あることだったのかもしれない……ということにしておこう。