caprinのミク廃更生日記

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少女単体「ロミオとジュリエット」の備忘録 (備忘録)

http://deztec.jp/design/06/01/31_syojotantai.html

 リンク先はかなり長文なので、覚悟して読んでください。少女単体に興味があれば、かなりおもしろいと思います。


 彼のやったことは最終的には正しく、「ネタにマジレス」した野暮な男とかさらさら言う気はないが、こういう怪しい雰囲気の匂いを嗅ぎ分ける徳保氏の嗅覚は本当に一級品でいつも感心させられてしまう。なにか火種がくすぶっているところには、きっと彼がいて、彼が去った後はなぜか火種が大きくなり火事になっている。今回のエントリの反響も次第に大きくなっていくんだろうなあ…。

 これは、人様の演劇をイベントレポートとして記録することによって、自分の演劇にしてしまった感じだろうか!? (この場合は、ドキュメンタリーを装った小説か!?) 未完成の演劇に彼がこのテキストを付け足すことによって、これは「少女単体」の演劇ではなくなり、徳保氏が主人公ではないにしろ苅谷氏との共同作業でいわゆる前衛芸術が完成されてしまった。偶然と必然が揃った奇跡の作品。だから、自分のコントロールできる演劇の中で完成させたかった苅谷氏としては、このイベントレポートは多分おもしろくないのだろうけど…。

 しかし、彼が火をつけたのではないし、明確に焚きつけたわけでもないし、本人にそういう意識がないのに、いつの間にか天然のトラブルメーカーになっているところが、恐ろしい。(私には、トラブルの震源地の近くに、いつも真性引き篭もり氏と徳保氏がいるような気がする。そして、前者は半分確信的に、後者は天然的に素晴らしいエントリを書いてみんなを煽って帰っていく。) 彼は、矮小なモラリストと自分を卑下して、作品の最後に手をつけてしまうわけだが、本当に最後の一線を守ったモラリストであったのかどうかは、他の人の議論を注意深くみて判断したい。と、いうか自分には現時点でその判断がつかない。「この劇自体が悪趣味だ。」と憤りを感じつつも、彼は、その主催者の苅谷氏にも、スタッフにも、彼女を見に来た「虚像と現実の狭間」を楽しみたいお客にも、たくさん話を聞きリサーチをかけている。また、その団体客の行動を見た街の人には、自らが進み出て、街の人に説明をするなど、一貫として冷静に物語の結末まで付き合っている。付き合ってしまったのは、モラル以上に興味が勝ったのだろうが、そうなってくると結果的に周りの悪趣味な客とたいして変わらないようにも思う。
 しかし、この後味の悪さはなんなんだろうなあ!? そもそも前衛芸術とモラルは相反するものなのか!? 徳保氏のこの長文はとてもおもしろかった。だが、苅谷氏の演劇も、徳保氏の冷静なドキュメンタリーも、そしてそのストーリーを楽しんでいる自分にも何か言語化出来ない気持ち悪さを今感じている。
 ただ、悪趣味だからこそ、「少女単体」をおもしろがっている人間がいるのは事実なんだよなあ。これが、普通の演劇で終わった場合は、ここまで話題になるはずはないのだ。


・関連リンク たかだか、2時間程度、表面を見ただけの客に、「あの人が可哀想、酷い、苅谷は最低」と単細胞な意見を投げつけられるのは、いささか腹が立つ。 (ボディーブローな日々)

http://www.syojotantai.com/body.html


・関連リンク 少女単体ロミオとジュリエット」の備忘録の感想 (ことこ・本と花びら大回転!)

http://d.hatena.ne.jp/kotoko/20060203


・関連リンク [演劇][ふしぎテクニック]宗教ってダサいなあ。 (絶叫機械+絶望中止)

http://d.hatena.ne.jp/screammachine/20060203


・関連リンク [エッセイ]本来性というジャーゴンと徳保さんと俺とお前と、そして大銀河暗黒神さま (オオツカダッシュ)

http://d.hatena.ne.jp/VanDykeParks2/20060204