caprinのミク廃更生日記

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復讐を願う当方と彼が同世代なのに変わりはない。 (The Beaten Generation yamdas.org)

http://www.yamdas.org/column/topic/beaten.html

 世代が近いせいもあるが、すごく同意してしまう。上の世代にも下の世代にも薄っぺらい私は復讐してみたいよ。

 上の世代が浮かれたらしい「バブル」とやらの頃には中高生でまったく蚊帳の外で(ワタシの場合地方出身で、なおかつ当時大学生で遊び尽くし就職活動までぎりぎりセーフでその恩恵を享受した兄を見ているから尚更落差を感じるのかもしれない)、人数はこの年代で一番多いため受験は厳しく(ワタシの場合、第一志望の大学が見事不合格だったから尚更そう思うのだろう)、大学を出る頃には就職氷河期で、何とか就職しても「失われた十年」とやらで右肩下がりで(自分が勤める会社がなくなるのを日経を読んで知るのは不愉快な体験だった)、下が入ってこないからいつまで経っても下っ端扱いなのに(おまけには上にはバブル入社世代が詰まっている)、30を越えたら当然のようにリストラ対象の範疇に入れられてしまっている……もちろんそのすべてについて時代のせいだなんて情けないことは言わない。今様に言えば、大方「自己責任」の範囲の話である。

 しかしそれでもどうしても被害者意識的になってしまうし、「人数こそ多いけど、いつも我々は主役になれてない」という閉塞感は変わらない。

 ここらへんは、おまいはオレか!?みたいに感じる。(笑) もちろん、こちらは彼ほど達筆な文も書けないのだけど…、こういう閉塞感は我々の世代は多かれ少なかれみんな感じているはず。

 ワタシはホリエモンが若者に夢を与えたなどという意見には与しないが、こうやってゲームに負けてうちのめされた彼を見てはじめて、同世代としての悲哀を感じるのも確かである。

 そうした目で見ると、彼の発言にも違った意味が見えてくるように思う。例えば「女はお金についてくる」といった言葉にしても、その後に無分別に女を喰いまくったといった武勇伝が続くことはなく(多分)、彼に擬せられる光クラブ山崎晃嗣オウム真理教麻原彰晃について伝えられる過剰な性欲、異性への支配欲は感じられない。上の言葉はむしろ、(いろいろな意味で)面倒を省けるといった意味合いのほうが大きいのではないか。そうした「薄さ」に同世代性を感じるわけだが、もちろんこれは彼の実態を知らない者の邪推でしかない。

 閑話休題

 黙っていれば無気力だ、覇気がない、ニートだ、少子化の原因だと蔑まれてうちのめされ、精一杯暴れてみせれば既得権益者の恨みを買いやはりうちのめされる。一番金を持っているのは団塊世代で、一番面白いことをやっているのは70年代後半生まれと言われ、どちらからも疎外される。いや、これが被害者意識なのは分かっている(堀江貴文に対して悲哀は感じるが、それを陰謀説などで合理化しようとは思わない。繰り返すが彼は道を踏み外し、そしてゲームに負けたのだ)。しかし、いつまでもうちのめされっぱなしでよいのかという気にもなるのも確かだ。これは世代間闘争で、我々に一番必要なのは復讐心ではないかとすら思う。

 被害者意識なのが一番問題かなあ…。

関係ないが、一体いつまで東浩紀のブログを見るたびに彼の子どもの画像を拝まされ続けるのだろうか

 ここは、笑った。