caprinのミク廃更生日記

初音ミクやVocaloid、ゲームやアニメのニュースサイト

これはやっぱりスジちがいだと思う (H-Yamaguchi.net)

http://www.h-yamaguchi.net/2006/03/post_2a11.html


・記事元リンク ライブドア上場廃止 老後資金も投資、株主の悲痛な声 (asahi.com)

http://www.asahi.com/national/update/0314/TKY200603140088.html


・関連リンク ライブドア:「ここ、モスクワかな? 同志」 (takyのスマイリィ・スマイル)

http://d.hatena.ne.jp/taky/20060315/1142420585#c

 新聞各社はもっと自分の意見を主張すべきだというところはまあ賛同出来るのだけど、そうなるためには読む側の人間もある程度のココロ構えが必要だと思う。Blogにしてもそう。

しかし、一方ではこういった健全な批判的記事が、じつのところweb上でしか流通していない、という事実も認めなくてはならない。

 う〜ん、また極端な事実だ。Web上での個人記事、特にBlogなどで良い点は、有料コンテンツ以外はほぼ無料で読めること、サイト運営者が自発的に消さない限り、過去記事もアーカイブとしてスタックされて残っていること、保存がデジタルであるために検索が容易なこと、記事作成者と読み手がダイレクトで繋がるために恣意的な介在が少ないことあたりだと思う。つまり、商用サイトやエントリを書く前になんらかの金銭の受け渡しなどが行われない限り、Webテキストで個人で好き勝手に書けるのは当然であり、そういう意味で新聞などと比べてしがらみのない批判記事が書けるはずだ。
 しかし、こういう良い記事がWeb上にしかないというのは間違いで、むしろもともとおもしろい記事を書ける人間は昔から一定数存在していて、そういった人がその投稿のしやすさからBlogなどに多数投稿するようになっただけのように思う。実際、この件(くだん)のエントリを書いたHiroshi YAMAGUCHI氏も経営学では超有名人であり、また常にうならせるような素晴らしいWeb記事を書き続けているサイトで「どういった人が書いているのだろう!?」とその人のプロフィールを見たらやはりそのスジでは有名な人であったり、何冊か本を書いている人だったりする。もちろんまったく無名な人がBlogなどの書くツールを与えられて、論客にのしあがっていく場合もあるのでWebもあなどれないのだけど、Netは有象無象であるがゆえに嘘や間違いも多いし、レスポンスの早急さゆえに確証のない「飛ばし記事」である場合もある。そうなってくると、レスポンスは確かに遅いが、ある程度まとまった文量の場合、書籍の形の方が良い場合もある。Webにしか良い記事を見つけられないのであれば、もっと実際社会において検索範囲を広げる必要があるだろう。

結局、朝日新聞(別に読売でも産経でも毎日でもいいのだが。あるいはほとんど全ての週刊誌)のこういった記事を読んで「そうだそうだ」と無条件に思う人の大半(単純にホリエモンがきらい。それだけなひと)は、ネットのこういった記事などチェックしていないし、そもそもそういった言説があることすら知らない。そしておそらく、知ったとしても「そんな細かいことはどうでも良いんだよ」というか、場の空気を読めないネット中毒のガキを不機嫌な目でひとにらみするだけだろう。彼らにとっては、才覚もなく努力もしないで成り上がった(現実には、そう思っている人の大半より、才覚もあるし努力もしただろうが。方向性はともかく)ホリエモンが、単純に妬ましいだけで、実際、彼を貶めることが目的であり、そのことがフェアであるかどうかは関係ないのだ。

その事実を考えると、かなりの徒労感を覚える。

 確かに有力な大手の新聞を無条件に鵜呑みにする層は間違いなく多数いるだろう。ただ、Blogを多数読み多面的な言説を読んだ人間が、そういった層にちゃんとした説明や説得をすることはまれだったりする。それが「あるある大辞典」を見てすぐにマネする母親だったり、お酒を飲んでTV NEWSにぐだぐだ文句を言っている父親のような身内であった場合、事実とは違うことを鵜呑みにしていても「それはそうじゃない。」と親切に教える人は少ないし、友達同士で経済の話や政治の話を喧々諤々(けんけんがくがく)と話しあう人はもっと少ない。だから、Blogにおいて多数の見識を知るのはいいのだが、それを自分のうちに溜め込むだけで外にアウトプットしない限りでは、Blogの力もやっぱりたいしたものにならないだろう。

「私は彼らの知らないことを知っている。」と新聞を無条件に鵜呑みする人間を卑下するだけでは、自分もNetの記事を無条件に鵜呑みにする人間になっているかもしれない。

ここで少しセンセーショナルな表現をしておくと、「日本の報道というのは、中国と同じなのではないか?」と思えてくる。(以下、だいぶ書いたが削除)

独占に胡坐をかいて不当な利益をむさぼり、提灯記事と建前を書き連ね、すこし情勢が悪くなるとスケープゴートを仕立て上げて、人民の不満のガス抜きをする。どの新聞を見ても、どの雑誌を見ても、同じことしか書いてない。

うーん。
僕らが住んでいるのは、どこの共産主義国家なんでしょう?

 確かに自由市場の経済と比べれば、思いのほか日本政府の報道規制はしっかりしているというか他国と比べて厳しいかもしれない。だが、中国みたいな共産国では日本でプロバイダと言われるようなモノは国営で運営しているひとつのものしか存在せず、国営で一元管理しているので、誰がどこで何を書き込んだかすぐに分かるようになっている。政府に対して不利な意見を書こうものならすぐに憲兵が飛んでくるだろう。そういう所と比べれば、まだまだ日本はマシというか、個人的にはそこまではひどくないような気がするのだが!?

 また、各新聞社に明確なポリシーを要求するのであれば、読む側もそれなりのスキルを要求されるだろう。少なくとも自分のポリシーに合わない新聞でも、その主張を頭ごなしに潰すようなことはしてはいけないと思う。例えば、朝日新聞の恣意的な文章に対して「また、朝日か」とか「朝日クオリティ」とかちゃかしてはいけないだろう。また、新聞社が提灯記事や建前を連発するのであれば、それをいつまでも許している我々もよくない。