caprinのミク廃更生日記

初音ミクやVocaloid、ゲームやアニメのニュースサイト

賃上げより前にやるべきこと (H-Yamaguchi.net)

http://www.h-yamaguchi.net/2006/03/post_e7ed.html


・関連リンク ヒト、モノ、カネより大切なもの (404 Blog Not Found)

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50424328.html

かといって、私は既得権益者たる、「居場所を得たもの」たちの心情もよく「わかる」。かつてこうした「居場所」というのは、時が経てば自分に「まわってきた」ものなのだ。少年は青年に、青年は壮年に、壮年は老年に、そして老年は死へ。引っ越しはまさに「神の見えざる手」によってなされてきた。

もちろん市場がオーバーシュートしたりアンダーシュートしたりするのと同様に、急な空きが出来たり逆にまだ引っ越し先の退去が終わっていなかったりといったことはどの時代にもある程度はあったものだ。しかし、これほど「上がつかえた」時代というのは、人類はいまだかつて経験していないのだ。

ともなると、とりえあず「今そこにいる者」は、「上が空くまで」引っ越しを留保するだろう。するとそこに引っ越す予定だったものも保留し、結果誰も身動きを取れなくなっているというのが、今の先進国を覆う空気のように思う。

「だから、未だ『居場所』を得ない若者のために場所をゆずりましょう」という意見はもっともだ。しかし数多の「まっとうな意見」と同様、そうはならないのは、居場所をゆずる側が何を得るかがはっきりしないという点も大きい。「立ち退くのは結構。しかし移転先はどちらへ?」と尋ねられても返す言葉、いや場所がないのだ。

それでも、私は軒先を貸す。たとえ母屋を取られても。


・関連リンク 若者の所得格差拡大 (大竹文雄のブログ)

http://ohtake.cocolog-nifty.com/ohtake/2006/03/post_ba15.html


・関連リンク 縦並び社会-誰も格差を埋めてはくれません (大西 宏のマーケティング・エッセンス)

http://ohnishi.livedoor.biz/archives/50129261.html


・関連リンク [Book] 香山リカの処方箋、いや紹介状 (404 Blog Not Found)

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50295257.html

しかし上の文章をもう一度よく見てみよう。「勇気が与えられる」。「心から願っている」。これは処方箋ではない。紹介状だ。そう。実は治療の対象は日本全体で、そしてその治療者は貧乏クジ世代というのが彼女の本当の言い分なのだ。

これでは貧乏クジを通り越して尻拭いではないのか?

私が見るに、少なくとも貧乏クジ世代は、貧乏クジを引かされたことそのものには文句を言っていない。バブルのおこぼれにあずかれなかったことをむしろ幸運に思っているところすらある。彼らが耐えられないのは、他の世代の尻拭いであり、そして彼らは他の世代が彼らに対してその期待を暗にしていることを敏感に悟っており、そしてそのことに嫌気がさしているのだ。

その事は、彼女も気がついているはずだ。なぜ彼らは社会に目を向けないのか?それが報われぬことを知っているからだ。なぜ彼らは頑張るのか?社会が彼らを助けてくれぬことを知悉しているからだ。なぜ彼らは不安なのか?自分のことだけで手一杯なのにいつ有無をいわさず他の世代の尻拭いをさせられるかわからないからだ。

彼らはきちんと自助している。自助しているだけでも立派なものなのに、彼らに他の世代の面倒を見よといえば、「そんなの自分でやれ」と言われるに決まっている。

本書における彼女の全体的な基調は、「貧乏クジ世代よ、我が身を悲観するより自助せよ」というものだ。しかし私には体のいい先送りにしか聞こえない。バブルに踊った世代はバブルのけじめをきっちりつけたのだろうか?自助を放棄した世代にそれを言う資格があるのだろうか?

リーダーシップを彼らに期待するのはいいだろう。しかしもしそうであれば、彼らの決定に異を唱えるごときぶざまな真似だけはしてほしくないものだ。たとえその決定が「君たち姥捨山行きね」であったとしても。任せた以上はそれに従う義務があるのだから。


・続きリンク 将来への過度な期待は空しい(404 Blog Not Found)

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50308048.html


・関連リンク 同時多発的格差論議 (Peppermint Blue)

http://d.hatena.ne.jp/yyamaguchi/20060321


・関連リンク 娘、息子の悲惨な職場 (Espresso Diary@信州松本)

http://blog.livedoor.jp/takahashikamekichi/archives/50713199.html

今週のエコノミスト誌には、「娘、息子の悲惨な職場」というタイトルが出ています。このシリーズも4回目ですから、反響が大きいのでしょう。30歳前後の厳しい雇用の現実が描かれている。いまは、正社員として働こうと思えば、長いサービス残業などに耐えなくてはならず、かといって働いた時間どおりの賃金を受けたいと思えば、フリーターやアルバイターという立場に甘んじなければならない人が多いんですね。この厳しさの原因は、何か?

日本は、資源を輸入して、製品を輸出することで稼いできた国です。信州は、かつては生糸を、現在は電子部品を売る道を選択してきました。しかし、資源の価格が高くなり、中国や韓国などの新興国が安くモノを作るようになり、儲けが薄くなってきたんですね。日経のサイトで「貿易黒字」という記事を検索してみると、マレーシア、ブラジル、台湾、中国など、新興国の貿易黒字の大きさを伝える記事が次々に出てきます。彼らの追い上げと資源の値上がりというプレシャーがある上に、企業は配当を増やすことを求められ、価格の競争は激しく速く、かつ大きな投資をしてゆかないと成長が難しい状態ですから、なかなか雇用や賃金にまで恩恵が広がってゆかないのでしょう。

娘や息子たちが消費者として安さや便利さを追求してゆけばゆくほど、社会人である父親たちは、ますます生産性を上げ、在庫を圧縮し、ひいては若い労働者を厳しい条件で雇用することを求められる。これが「娘、息子の悲惨な職場」というタイトルの隠れた意味なのだと思います。日本の就職活動の厳しさは、たんに「今年は大変だ」とか「採用が増えた」という目先の話ではなく、それまで大切な「お客さま」として扱われたきた学生が、ある時期を境にして突如「売る側」の厳しさに直面するところにあるような気がします。


・関連リンク 私たちに未来はないのか 取り残された「超就職氷河期」世代 (MSN-Mainichi)

http://www.mainichi-msn.co.jp/keizai/kinyu/ekabu/report/news/20060320org00m020029000c.html

 非正社員化の流れが止まらないなか、20代後半からは非正社員から正社員への転身も厳しい。「雇用調整のしわ寄せは女性と若年層にきた」と一橋大学大学院の木本喜美子教授は言う。そうした状況で雇用改善の最後の策となるのは「正社員と非正社員の均等待遇の確立」と慶応義塾大学の樋口美雄教授は指摘。パートと正社員の均等待遇を巡って何年も法制化の議論がなされているが、経済界の強い反対で成立する見通しは立っていない。

 非正社員の均等待遇について、日本経済団体連合会の矢野弘典専務理事はこう話す。

 「企業はコアな人材は必ず安定して長く働くことのできる正社員として雇う。処遇について公平性が求められるのは確かだ。それは、必ずしも処遇がイコールというわけではない。有期雇用従業員(非正社員)と長期雇用従業員(正社員)では、過去、現在、将来の役割が違うため、賃金格差があって当然。現在だけを見て格差があるというのは間違っている」

 だが、それは、あまりに人を単なる「コマのひとつ」と考えるような議論ではないのか。連合の長谷川裕子総合労働局長は「労働基準法は、最低限のルール。そのギリギリのところで若い人は働かされている。人とモノとは違うということに経済界は気づかなければならない。雇用の現場では、人を守る新たな法整備が必要」と主張する。連合では解雇制限などを強化した「パート・有期契約労働法」を提案している。

 超氷河期に卒業した若者は、非正社員からも抜け出せず、法で守られもしない。このまま、未来の見えない毎日を過ごさなければならないのだろうか。

 景気が回復し、就職率が改善したといっても、取り残されたままの、「超就職氷河期」世代の問題を忘れてはいけない。


・関連リンク 貧乏クジついでにペイフォワードがいいと思う (はてブついでに覚書)

http://d.hatena.ne.jp/chanm/20060322

 ペイフォワードっていう映画があって、あの映画自体はぬるいと思うのだけど、その思想自体はとてもいいなあと思ってしまう。親にとって子供は生まれること自体が「親孝行」であってその喜びの「生」を繋げることもとても大事なことだ。