caprinのミク廃更生日記

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空気嫁(=空気読め)について (宵の星@はてなside)

http://d.hatena.ne.jp/hide-yoinohoshi/20060329/p1

しかしそれは己のコミュニケーション能力の無さが問題ではない。
むしろ「空気嫁」をいう人のコミュニケーション能力に問題がある。

 「相手のコミュニケーション能力に起因する」、そういう側面は確かにあるだろう。ただ、「空気を読めよ」と投げかける方にも問題は大いにあるが、言われる方にもやっぱりなにかがあったから、そう言われたのだと思うなあ。2chなどの常に殺伐としていることが前提である場で言われるのならともかく(そういう場であれば、そもそも傷つく必要はない。)、普通の個人BBSなどで言われたのであれば、「向こうにも非はあるが、そう言われた自分にも何か問題は無かっただろうか!?」と怒ったり落ち込んだりする前に自問する必要はあるだろう。「己のコミュニケーションにはまったく問題は無かった、あれはあっちが悪い。」と決め付けるのでは、言うほうも言われるほうも「どんぐりの背比べ」のより低い程度の話になってしまわないだろうか!?

そこで分かったのだが、荒れやすいBBSは管理人の対人能力に問題があることが多い。

 また、これは本当のことだと思うのだが、

 よくあるケースは、BBSの中心役である管理人が、ビジターに「空気嫁」のようなことを言って疎外したために、そのビジターが仲間はずれにした腹いせに荒らす、といったものだ。

 というケースよりも、個人的な私の経験では、その周りのより管理人に近しい人によって「空気読め」と場にそぐわない発言を続ける人が言われてることの方が多かった気がする。例えば有名な絵師のサイトだったら、その絵が大好きな信者であるとか、声優ならその声優ファンが、その場の今の雰囲気を気に入っているがゆえにビジターの今までと異なる分子は排除しようとしがちだ。また、確かにそういう場は、管理人のかもし出す雰囲気によって主に形成されるが、要素はやはりそれだけではあるまい。場は訪れる人の会話によって常に変動していくものなのだ。だから、ミュージシャンにしろ、小説家、物書きにしろ、ネット外ではただの人であるアルファブロガーでさえ、そのサイトが有名になり訪れる人が多くなればなるほど、そのサイトを好意的にみている人も増えれば、そう思っていない人も増えていき、新たな書き込みのある度にその場は流動的に変化していく。「場を読む、空気を読む」ということは結局、その度に自分をその場に合わせていかないと駄目なのだろう。もちろん、それは単純にそのBBSに迎合した主体性のない態度を取れと言いたいのではない。そのBBSやコミュにおいて、管理人や特定の人に何か言いたいのであれば、自分の主張だけでなく相手の言い分も聞く、そしてここはそもそも議論していい場なのかということも考えることが必要だろう。私もどちらかというと理系なので、結論の出るディベート的なBBSの方が好みなのだが、そもそも議論よりも『ぬる〜いコミュニケーション』が目的の結論が出ることのない場も人によってはとても必要であり、その存在はもっと鷹揚に認めることだ。とあるアニメのサイトで「あのキャラ萌え〜」と言っている場所に、「お前らは間違っている、お前らはロリコンだろう!?」という書き込みは、言っていることがどんなに正しくても、その場では到底受け入れられない。

 私も自我が強いせいか「空気嫁」といわれたが、そんなことを簡単にいうコミュニティは次元が低く価値が無いのでサッサと去った。

おかげでより次元の高いコミュニティに加わるきっかけが増え、よい人間関係を築くことができた。
(たしかにコミュニティ去ることは孤独との戦いにもなるが)

むしろ我々は「空気を読む」とか「場を読む」のでなく、”人間の程度を読む”訓練をしたほうがいい。

 自分の価値観や自我がすでに固定化されている人は、これからも自分にあったサイトのみを探し続けるのだろう。それは別に間違いじゃないし、現実世界であれネットであれ、人は自分のよりよい居場所を見つけるために常にさまよっているものだ。だけど、自分の価値観に合わないコミュニティは、すべて「人間の程度がたかだが知れている」と思うのも極端な意見だなあと思ってしまった。
 例えば、学術的に次元の高いコミュニティは、その専門性によりある程度その知識の基礎を持っている(コミュニティによりそれが学問であったり、PCの知識であったり、ファッションの知識であったりするわけだが)人にしか門戸は開かれない。いや、厳密に言うと門戸は開かれているのだけど、そこに入る前にもっと初心者でも分かるサイトに行って基礎知識をつけてからでないとそのコミュニティには参加出来ない。そういう場所にまったくの専門外の人が来た場合に、今まで他所で「空気を読め」と言われて去った人間が、今度は逆に「おいおい分かっていない次元の低い人間が来たぜ、ちょっとは空気を読めよ。」と言ってしまう危険性は本当にないのだろうか!? 彼のやるべきことは、その初心者をより初心者でも分かるサイトに誘導したり、初心者でも分かりやすい本を紹介することなのに…。

 とにかく、相手と円滑な言葉のキャッチボールをしたいのなら、最初に投げる自分の球は相手に取りやすい球を投げないといけない。いや、最初はうまく投げられなくて暴投もやっぱりあるかもしれないが、相手の胸元に投げようとする努力はするべきだ。そういう態度は不思議なことにBBSなどの書き込みだけでも相手に伝わるもんで、意地悪なボールを投げるのはそのお互いに胸元という基礎が出来るようになってからでも遅くはないだろう。そして、基礎が出来てくると、相手に無理な球を投げても取ってくれたり、相手のとんでもない球を自分が取る応酬もOKになりキャッチボールも俄然おもしろくなってくる。また、その下地があれば、他の人から「そのキャッチボールは止めておけ。」みたいな声は出にくいに違いない。ま、なんせ最初から相手のどんなボールでも超絶的にキャッチ出来るイチローみたいな名選手は少ないのだから、自分みたいなコミュニケーション不全の人間は暖機運転から相手の距離を測りたいと思う。


・関連リンク「コミュニケーション能力」がある人は「空気を読め!」なんて言わない (九尾のネコ鞭)

http://d.hatena.ne.jp/maroyakasa/20060409#p2