caprinのミク廃更生日記

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被害者実名報道の条件 (H-Yamaguchi.net)

http://www.h-yamaguchi.net/2006/07/post_dffe.html

ここが核心。選択権をメディアに与えよ、というのが主張だ。しかし被害者の実名に関していうと、最優先されるべきは、メディアの意向でも警察の意向でもなく、被害者ないしその関係者の意向だ、と思うがちがうだろうか。仮に、被害者の中に、できるだけそっとしておいてほしいと思う人がいたとしよう。警察には接しなければならない。捜査上必要だからだ。そのうえにマスメディアにも接しなければならないのか?「マスメディア」といったって1社や2社ではない。新聞、テレビ、ラジオ、週刊誌、その他もろもろ。人数でいったら100人を超えることだって珍しくない。それにいちいち対応しなければならないこと自体が既に「二次被害」なのだ。警察に頼んで「そっとしておいてくれ」と言ってもらいたくなるのは当然ではないか。「代表取材だってできる」というなら、最初に取材に行く前にまず報道関係者全員で話し合えばいい。被害者と誠実に話し合っているなら、「メディアスクラム」なんてことばはできなかったはずだ。

では逆に、被害者が実名報道を希望しているとしたらどうか。警察に判断を任せると、取材が不可能になるのだろうか。そんなわけがない。一刻も早い被疑者逮捕を望む、再発防止のため世間に訴えたい等、被害者が実名公表を望むケースも少なくないだろう。もし被害者が望んでいるなら、たとえ警察が隠したとしても、被害者が新聞社なりテレビ局なりに1本電話すればいい。「話をしたい」と。つまり、そもそも警察には被害者が公表を望む情報を隠すことなどできないはずだ。メディアが警察を盲信して他の情報をシャットアウトしていない限りは。新聞協会の意見書にあるように、マスメディアが本当に「確認できない事柄を無責任に報道することはできない」と考えているなら、被害者が警察に伝えた意向によって警察が実名公表の是非を判断するとしても、問題はないはずではないか。新聞社にとって何が問題なんだろうか?ここがわからない。さっぱりわからない。

 山口氏の意見は、さすがアルファブロガーらしく言葉巧みで説得力もあり、長文でも簡潔にまとまって言葉にブレがない。自分では絶対ここまでうまく書けないし、今回のエントリも被害者の立場から実名報道の有無が決定出来ればそれにこしたことはないとも思う。しかし、その被害者の近くに警察がいて報道をコントロールする場合、果たしてそう健全にコトが進むだろうか!?と心配性の私は思ってしまった。よって、自分はあえて否定の方向で考えてみたい。

 まず、「はてブ」で他の人のコメントを見てみたのだが、どんな論調でもすぐに否定意見の出る偏屈の集まる「はてブ」において、被害者実名報道はマスコミよりも警察に選ぶ権利を与えることに「同意する」という意見が大勢なのは個人的に結構驚いた。みんながいわゆる「マスコミ」ではなく「マスゴミ」と呼ぶ人種を信用していない&嫌いなのはよく分かったが、じゃあ、君らはそんなに警察は信頼しているの!?という疑問だ。私はマスコミの言うことは鵜呑みにしてはいけないと思うけど、警察のやることをすべて信じるのも危険だと思う。人によってはどっちもどっちだという意見かもしれないが、それならばなおさら、銃を持つことを唯一許された職業で人を逮捕出来る権力持つ法の番人に報道の権力を一部とはいえ、手渡してしまってよいものだろうか? 「そのマスコミに実名報道するだけの資質はあるのか?」ということにはおのおのの事例に対して考えないといけないけれど、そのペンは警察の銃に対抗するという意味でも必要なのではないだろうか!?

 また、個人情報保護法案が出来た時に多くの人達は「これで自分の個人情報は少しは守られるかな!?」と単純に思っただろうが、実際にこの法案が制定されてみると、「この不正を働いた奴は誰なんだ!?」などの追求に対して「個人情報なのでお答え出来ません。」という判を押したようなやり取りが会社や組織VS個人の中で見られるようになった。こんなことで追求の目が絶たれたりすると、権力の持つ側にある隠蔽があった場合でも、個人ではこれ以上どうすることも出来ないわけで、こういうやり方は法をうまく利用した曲解といえよう。住基ネットの前提にある法案がいつの間にか、メディア規制による個人管理へと変貌した…、この前例を考えても権力を持つ警察側に同じような曲解を与える恐れがないか心配だ。警察は巨大な組織であり、組織形態は完全にピラミッド型、命令は警察官僚のトップダウンで行われ上からの命令は絶対だ。その上部になんらかの圧力がかかれば、下の者は正しいか不正かに関わらず命令によって動く、もしくはそれが不正と知らないまま下が動くこともあるかもしれない。本来そういう時の監視者として公正な目を持ったマスコミが警察の不正を監視しなくちゃいけないのに、その報道の権利をマスコミから奪い、警察へ譲渡してしまってよいのだろうか!? 天下り監視員が身内による身内のためのチェック機構が意味を成さないのと同様に、警察側に警察の報道へのチェックがあるのは言論の自由がある民主主義としては異常だ。マスコミにももちろん大きな組織があるが、基本的には独立した組織が複数いるので、お互いにチェックが働く。毎日新聞朝日新聞の不正を暴くこともあれば、朝日が毎日の不正を見抜くこともありえる。だが、警察の場合、大きなひとつの組織であるためにこういうチェック機能は複数いるマスコミよりも働きにくい。そして、秘密保持を抱え込むという意味では、その仕事の関係上、警察は突出した存在だ。自分に不利な秘密も絶対に抱え込むはずだ。

 例えば、警察官が人を殺した場合、殺された被害者を発表しないこともあるかもしれない。被害者がその殺された被害者だけの場合、その報道の是非はやっぱり警察がするんだよね!? 殺された人が匿名の場合、その被害者は世間的にはただの行方不明者として扱われてしまうかもしれない…。被害者が分からないために加害者もそもそもいないというおかしなことも起こるかもしれない…。加害者と被害者とがセットで報道されないと、分からないことも多く、そしてその中途半端な報道とは果たして本当に報道なのか、それともただの噂話の類なのか、分からなくなってくる。「私の家の近くの人が殺されたんだって、でもその人は誰か分からないの…。最近見なくなったあの人かな!?」って、それは怪談話かっつうの。私は何も報道する正義や使命を振りかざして興味本位の報道をマスコミに容認したいわけではない。むしろ、そういう被害者のプライバシーを侵害するようなマスコミはもっともっとBlogなどで糾弾すべきだと思うし、場合によっては不買運動、視聴の中止などをしてもよい。結局、報道機関の自主判断の外郭を形作るのは、我々報道を消費する側だと思うので、マスコミに「こういうことをしては視聴者の同意は得られないな。」というとこまで持っていかないといけないだろう。

 マスメディアが、国民にかかわる情報を随意にコントロールする社会は確かに不安だ。だが、警察が、国民にかかわる情報を随意にコントロールする社会はもっと不安な気がするのだけど、それは私だけなのかなあ!?


・関連リンク YES? NO? 私も言いたい 被害者情報 (産経新聞)

http://www.sankei.com/edit/anke/kekka/1118higaisha.html


・関連リンク 偽名で交通取り締まり 「不適切」違法性は認めず 地裁 女性の損害賠償請求棄却 (YOMIURI ONLINE)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/wakayama/news003.htm