caprinのミク廃更生日記

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アニメ化で人気再燃するも、失われたモノも大きい「時をかける少女」 (忍之閻魔帳)

http://ameblo.jp/sinobi/entry-10016391801.html

 私も原田知世の映画版にはそれなりの思い入れがあるので、アニメ版「時かけ」にはもっとラベンダーのイメージを大事にして欲しかったとかはあるが、

SFとしては詰めが甘く、ジュヴナイルとしても中途半端なこの作品

 という点は、ライトノベル世代向けの作品だからしょうがないとしか言いようがない。だって、この作品を見た多くの若い人がいきなり「タイムリープ」の仕組みについて1晩明かして語りあうとは思えないのだ。むしろ、そちら方面で盛り上がり語り合うのは、古典SFやハードSF小説に慣れ親しんだ第1世代とサイバーパンク映画などに傾倒した第2世代のヲタクまでで、今のライトヲタクが最初に話し出すのは、どちらかというと紺野真琴のかわいさであったり仕草であったり行動であったりすると思うのだ。もちろん、マーケティングの面で、長編アニメ映画だろうと「萌え」は避けて通れない。

 今のライトノベルの代表作品である「ハルヒ」では、SFを土台とした舞台がどんなに優れていようと、それはハルヒ長門達のキャラクターの魅力を引き出すまさに舞台装置という味付けであって、SF話がメインにくることはない。(巻数が進むことによってSFネタで話を広げる時は絶対来るが、そこでハードSFに話が進んでしまってはキャラクター主体のライトノベルにならない。逆にそこがライトノベルの難しいところでもあるが。) 時代に合わせたという意味で2代目「時かけ」がライトノベルよりのアニメであったのは成功であったと思うのだが、第2世代以前のヲタクに物足りないのもその副作用であったと思うのだがどうだろうか!?