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ブログは世論を作り出すことが出来るのか (切込隊長BLOG)

http://column.chbox.jp/home/kiri/archives/blog/main/2006/12/11_174033.html

 要するに、ブロガーにせよ役人にせよ市民団体にせよ、ネット上にはすでに「万人の万人に対する闘争」状態が成立しているように見えるわけだ。それも、相手のことをよく理解して、双方の言い分を吟味して下した結論ではなく、理解する努力を放棄した上での印象論を展開して、その語呂が心地よければとりあえず賛同してみるという話に過ぎない。

 簡単なことだ。よく考えてみればいい。天下りが良いも悪いもシステムであって、効果もあれば弊害もあり、癒着と言えば聴こえは悪いが官民協同と言えば美しく見える。談合を減らして安値受注する非合法組織が質の悪い工事を連発するのと同義で、官僚をいじめてそれ相応に優秀な人間が役人を目指さなくなったらそれは日本の不幸でもある。


 天下りがいかん、といったところで、じゃあ官僚の給料、生涯賃金を大手民間並みに増やせ、という議論は聞かれない。地方公務員の給料は代替の聞く人材で構成されているし問題も多いので減らしてよいとしても、政策を立案したり行政の要となるキャリア官僚がその労働内容や専門性の高さに見合う生涯賃金を保証されているかと言われると微妙だ。官僚として留まっても旨みがないのだとすれば、公費で留学して帰ってきて数年で民間へ転出するなんていう騒ぎが続発するのも当たり前と言えよう。

つまり「天下りをやめろ、さもなければ自民党に票を入れん」運動というのは、何の対案も提示しない馬鹿の見本市になりかねない。天下りというシステムが長く続いた弊害があるのは理解しよう。しかし、そこで動いているメカニズムは純粋に経済的なものであって、より効率的な体制がなければ、天下りを廃止するのはそのまま現役官僚のモチベーション減少だけでなく、優秀な人間が役人になろうとしない現象を惹起するわけだ。


 そうであれば、民間から優秀な人間をキャリア官僚にするシステムや、現況の新卒主義の人事体系でも成り立つようなキャリア官僚の賃金体制の変更も必要だ。そんなアイデアを代替できちんと提示出来る人間であれば、”この国のかたち”そのものである役所と民間企業の関係に踏み込むことなど出来ないだろう。


・関連リンク 「天下りあっ旋問題」ブログは世論を作り出すことが出来るのか (ガ島通信)

http://d.hatena.ne.jp/gatonews/20061209/1165684918