caprinのミク廃更生日記

初音ミクやVocaloid、ゲームやアニメのニュースサイト

逃げ出さないための希望 (雑種路線でいこう)

http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20070104/hope

オイルショックが「未来が現在よりも良いという,ささやかな希望」を打ち砕いて出生率を引き下げたのだとすれば,1980年代中盤は「そもそも手の届かない希望」が人々を翻弄し,それが平凡な家庭を築き子供を育てるよりも輝かしい可能性にみえた時代だった.そういった消費文化を主導したのがテレビ局や出版界で,彼らをナショナルクライアントとして支えたのが経団連に名を連ねる大企業であったことは論を俟たない.だから確かに,政府なり財界が庶民を勤労なり繁殖なりに動員しようとするのであれば論点は「希望」で筋としては悪くないのではないか.

そして深読みすると「希望の国」はエクソダスの枕詞で,エクソダスとは脱走のことである.作品で希望を失った中学生たちは一斉に登校拒否して連帯する.フリーターは労働市場から疎外されているが,NEET労働市場から逃げ出している.多くのシングルやDINKSは子育てから逃げ出している.そして安く便利に使える勤勉な労働者がいなくなれば,市場が縮小すれば,グローバル企業は日本から逃げ出すのだろう.誰もが逃げ出さないために希望を必要としているというか,希望を見失って脱走しつつあるのではないか.商人の分,公僕の分,庶民の分いろいろあるだろうが,誰だって逃げ出す自由を持っている点に於いて平等だ.

その点に於いて『希望の国、日本』は,経済界から政府に対するロビー活動ではあるが,企業が日本から逃げ出さずに済む条件として読むべきではないか.政府にこの要望書を聞き入れる義理はないにせよ,企業だって日本に踏み止まる義理はないのである.無論,庶民だって労働や子育てに踏み止まる義理はないが,みんな逃げ出したら山河しか残らない.

 みんなで踏みとどまって欲しいという希望。