資料館展示見直しに中韓の声 (中国新聞)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200705310023.html
原爆資料館(広島市中区)を運営する広島平和文化センターのスティーブン・リーパー理事長は30日、館の展示内容を見直す検討委員会に、中国、韓国人らアジア出身の委員を起用する方針を明らかにした。リーパー理事長は中国新聞のインタビューに、「原爆投下を『日本の植民地支配から解放した』と肯定する考えが根強いアジアの声に触れながら議論を深め、多民族が共感、納得できる施設にしたい」と述べた。
広島育ちとして、この話は到底受けいれられない。中国、韓国も原爆投下をさせられた当人ではないのだから。そもそもなんで原爆を落とした国の人が原爆資料館の運営のトップにいるのか!? 日本が嫌いな特定アジアの人の共感を得るために、世界警察気取りのアメリカの共感を得るために、原爆資料館があるのではない。原爆の恐ろしさ、戦争の恐ろしさを唯一の被爆国がそれを忘れないため、世界に事実を伝えるために存在するのだ。むしろ、アメリカ人にとっては「こんなひどいことを我が国はやったのか、もうこれ以上は見せないでくれ……。」と不快になるぐらいの資料館であるべきで、多民族の共感を得ようとしてアメリカの政治的駆け引きのために使われていい場所ではない。特定アジアの国にしても『原爆のおかげで我が国の被害が少なくなった、アメリカ人よ爆弾を落としてくれてありがとう。日本人よ死んでくれてありがとう。』というのがだいたいの人の認識だろう。それを日本人の悲惨な資料の前で特定アジアの委員が言うのか、どんな被虐プレイだよ。
■言及リンク 【広島】 原爆投下は「日本の植民地支配から解放」とのアジアの声が根強い…原爆資料館展示見直しに中韓などの委員を起用へ (痛いニュース(ノ∀`))
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/981867.html
広島人だけでなんとかせよという論調も気に入らない。これは世界で唯一の被爆国である日本全体の問題だぞ、まったくの他人事だと思うなよ……。アメリカ人や中国人や韓国人がどんな理由づけをもってしても、たった2つの爆弾で何十万人という日本人が殺されたという事実を正当化していいはずがない。これは「クジラを食うな」どころの内政干渉じゃない、「原爆は落としても良かった」と日本人に認めさせようとしているとても大きな問題だ。
■関連リンク ひと:スティーブン・リーパーさん=広島平和文化センター初の外国人理事長 ◇世界覆う戦争文化から、平和文化への転換を (MSN毎日インタラクティブ)
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/hito/news/20070516ddm003070162000c.html
■言及リンク 原爆資料館が原爆肯定に走るつもりだぞと。 (白の女王)
http://blog.so-net.ne.jp/c-cat/2007-05-31
要するに、こう言いたいわけだな。
事情によっては、原爆の使用も認めます。広島は、原爆を落とされても仕方ありませんでした。一般市民が大量に死のうと、知ったことではありません。これからも原爆は場合によっては使いますよ。
ってことを原爆資料館が宣言するわけだな。
全然、原爆を反対してねーぢゃんかヽ(´д`)ノ
しかもなんだ?
中国、韓国人を委員ニダ?
http://d.hatena.ne.jp/NOV1975/20070531/p2
高校の修学旅行で再び行ったときだから5〜7年後くらいか。正確には覚えてないけれども、あのときの記憶から、同級生を怖がらせつつも、その悲惨さを見据えて欲しいと思った。しかし、あろうことか、展示の内容が生ぬるくなっていたのだ。高校生の感受性と二度目だから衝撃が少なかったのか、と最初は考えたのだけれども、どうやらろう人形やら写真やら、とにかく不気味さを感じるものの展示が減っていたように思えた。凄惨さが減衰していた。それでも、見たことのなかった同級生たちは人間の残酷さに思いを馳せていたと思う。本当は、こんなものじゃないんだ。僕はそう叫んでいたけれども。
原爆資料館は、決して歴史の一ページではなく、人間が、人間にできる行為がどれくらいのものかを反省しつづけるために必要なものだ。別の知的生命体が人間にコンタクトしてきたとき、この仕打ちを見えて救いようのない存在と判断するかもしれない。あるいは、反省を糧に生きる種族だと見なすかもしれない。僕は人間としては後者でありたい。これを見て、ショックを受け、二度と起こさないように努力する、そういう気持ちを持って欲しいと思う。
上記で述べた通り、展示の内容を検討するのであれば人類に負の思いを刻み込むことでなくてはならない。アジアがどうとか、民族がどうとか、そういう観点が出てくること自体が間違っている。上記のコメントは、原爆投下という行為と、それに伴う政治的な結果のみについてしか言及していない。本来原爆資料館があるべき姿と言うのは、政治的な結果などとは全く違う場所で、どのようなことが起こったかを伝えるものだ。
原爆投下は、政治的には必要だったのかもしれない。もしそうだとしたら、だからこそ、そのために起こったこと、それにより犠牲になったものに直面することで、二度と同じ悲劇を起こさないと誓うことこそが、資料館を見て、人類として共感すべきことだ。事実から目を逸らすことで単なるその場の政治的決着の手段という評価が行為としての正当化にまで発展しないことを願ってやまない。
■関連リンク マスコミは原爆歴史事実を世界発信せよ! (Yahoo!掲示板)
なにより今回のこの報道の扱いの小ささが気になる……。
■言及リンク 原爆資料館って、その程度の存在だったのか (ヒマは見つけるモノじゃない、つくるモノだ)
http://d.hatena.ne.jp/magnitude6/20070531
そもそも広島の原爆資料館がよりによってアメリカ人によって統治(w)されている事も驚きなんだけど、そこに中国・韓国が入ってくる意味が分からない。
要は、「原爆で日本人がいっぱい死んだけど、アジア(特定アジア?)を助けるためであってしかたなかった。今も反省はしていない」って事を被爆国の原爆資料館が率先して宣言しようっていうんでしょ?「多民族が共感、納得できる施設にしたい」って言ってるらしいけど、アメリカはアメリカで、中国は中国で、韓国は韓国で、それぞれ肯定でも避難でも美化でもなんでもやればいいじゃないか。なんで日本国内の繊細な存在である原爆資料館を多民族ならぬ「他民族」の為に引っかき回されなきゃならないんだよ。
どのレベルの視点から原爆投下という史実を眺めるかっていう違いだと思うけど、そういう肯定展示はアメリカや中国、韓国で勝手にやってくれと。広島の原爆資料館は、日本とアジアの関係を明らかにする為の施設でもないし、アメリカ非難の為が目的の施設でもない。理由も分からず残酷な最期を強いられた、たくさんの広島の人たちの事を忘れないための施設なんじゃないんですか?
民族や国を超えて、原子・核爆弾などの大量殺戮兵器の本当の姿と結果を永久に残し、伝えていくための施設じゃないんですか?
それをアメリカ人に運営させ、このような(本質的には180度といっても過言ではないような)方針転換を許していていいんですかね。この広島平和文化センターに関わっている日本人の方々は、理事長や中韓の理事と一緒に「理由があれば、国家が一般市民を原爆で焼き払っても無問題! 広島・長崎への原爆投下は正しかった! 結局悪いのは日本だろう?」などと広島の人たちに向かって言うつもりですか?
恥を知りなさい。
■言及リンク 原爆資料館展示見直しに中韓の声など不要 (imajouの独り言)
http://d.hatena.ne.jp/imajou/20070531/1180579829
広島平和文化センターの理事長を何故アメリカ人にするのか。館の展示内容を検討するのに、何故中国・韓国人を入れる必要があるのか。原爆投下を肯定するアジアの声のアジアとはどの国か。特亜三国だけがアジアではない。多民族が共感、納得できる施設にする必要はないし、そんなことは不可能。原爆資料館は原爆投下と言う事実を伝えれば良く、その背景や意味は別の問題である。それをも言おうとするなら、国際法違反であることを先ず言わねばならぬ。理事長はアメリカの行為を正当化するのが目的ではないのかと疑う。即刻理事長を交代させるべきである。