caprinのミク廃更生日記

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ネットイナゴはもう定着した言葉なのだろうか!? 池田氏以外で他の人も普通に使ってる!?

■ブログ炎上「犯人」を命名 「ネットイナゴ」が定着? (J-CAST ニュース)

http://www.j-cast.com/2007/06/14008437.html

ネットイナゴに正面からケンカを売った形になっただけに、PV(ページビュー)もブックマーク数も過去最高を記録したという。コメントも殺到した模様で、池田さん自身もコメント欄で

「この記事にも、さっそくイナゴからコメントが来たが、削除しました」

と断っているが、それでもコメント数は6月14日18時現在で73。いわば、イナゴではないコメント数も相当数寄せられたことが分かる。ただ、見方は分かれ、池田さんを批判する声もある。

 とりあえずJ-CAST入りおめ〜。次はOhmynewsか、Livedoorあたりを目指そう。


■関連リンク 最近つくづく思うこと (My Life Between Silicon Valley and Japan)

http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070614/p1

 ネットは社会全体を相手にするのだから、ある意見に対する賛否両論は当然だし、誤解も生じるし、ときに批判は激しい。でもそんなこと以上に、嬉しくわくわくすることがある。それは、自分が書いたことが(たとえたった一人であれ)見ず知らずの人の、あるいは身近な意外な人の、心を動かすことだ。そしてそのことが直接わかることである。そんな素晴らしい経験の可能性が、いま誰にも開かれようとしている。

 結局「モノを書く」ということは、それを読んだ人の心に何が生じたのかということにその意義は尽きるのであって、書いた人と読んだ人とが直接リンクを持ち得ることの意義は何をも上回る。批判からもたくさんのことを学ぶことができる。過去の大作家だって、いくら本が売れようと、素晴らしい賞をもらおうと、大先生として編集者や出版社から崇められようと、これだけは経験できなかったのである。だから僕は現代を生きる幸福を噛みしめながら、毎日延々と、むろん厳しい批判も含め、自分が書いたことに対する反応や感想を読み続けている。

 ここに池田信夫氏と梅田望夫氏の違いを見たような気がした。ネガティブなのが池田氏で、超ポジティブなのが梅田氏。いや、単純にどっちがいいとかいう話ではないけど、人生を楽しく生きられるのはやはりポジティブな方だろう。ただ、そういう前向きさが通用しない本当に暗黒な場所もあるのは理解しておきたいな。でも、まあネットの世界をどうしても信じられないというのなら、別に本にだけ、チラシの裏にだけ書くというのでも自分はいっこうにかまわないんじゃないかなと思う。不特定多数の人にその人の素晴らしい言葉が伝わらないようになって、もったいないとは思うけども。
 で、翻って「はてブ」だけど、全体としてはまだまだダークサイドに落ちるとこまでには行っていないように思う。まれに個人で黒いオーラをはなっているというか、ダークサイドに落ちたブックマーカーがネガティブコメントを垂れ流している場合もあるけど、その場合は「はてブ」全体の動きではなく個人の資質によるところが大きいことなので、華麗にスルー力を発揮すれば良い。


■関連リンク 幸福を痛感する (404 Blog Not Found)

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50852516.html

そして痛みの原因は「テメエたちの場所をテメエたちで守る」ことにある。テメエたちの場所を守るというのは、テメエたち同士で慰め合うことばかりではないのだ。その中には、テメエたちどおしでどつきあうことがどうしても必要なのだ。

これは、痛い。1000のコメントでentryが炎上するより、一人のTBの方がはるかに痛い。

本blogの定期購読者ならお分かりの通り、私は梅田望夫blogosphereでもっともどついてきた一人でもある。そして彼がそれを「痛感」していることも知っている。そして私は、彼がそれで倒れないことも知っている。

甘えといえば。そうである。私は梅田望夫の強さに甘えている。見慣れぬ人が見れば猛獣が人を襲っているように見えるかも知れないが、実は虎が飼い主にじゃれているようなものなのだ。一歩間違えば指を食いちぎられるリスクまで承知の上で、彼ははそうしているのだ。私に対してだけではなく、まだ見ず知らずの他人にあっても、だ。

 なんとなく、納得。そういえば梅田氏のノーガード戦法は、ムツゴロウさんが猛獣とじゃれあっているのに近いモノがあるな。(笑) 若者にポジティブな生き方を提唱する以上、本人はそんなにネガティブな表現は使わないけれど、ああいう生き方はあれはあれで大変なんだろうなあ。まあ、本人が苦しいことも苦しいと感じていないのなら、やはりすぐにへこたれる奴よりも強い。


■関連リンク はてなの逆淘汰 (池田信夫 blog)

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/accdf9e44f13a20620e513865403fc91

小飼弾氏のように、この種の問題を個人の「鈍感力」に帰するのはナンセンスである。それは不潔な食堂が「食中毒に免疫のある客だけが来ればよい」と開き直っているようなものだ。問題は個人の性格ではなく、平均的なユーザーにとってどういうことが起き、それがシステム全体にどういう影響を及ぼすのかということだ。

・ちょっと意地が悪いけどテキストを改悪してみる

 池田信夫氏のように、ネットイナゴ問題を一企業体の「はてな」に押しつけるのはナンセンスである。それは高尚な経済学者が「私の話の分かる客だけが来ればよい」と開き直っているようなものだ。問題は企業の対応だけではなく、平均的なユーザーにとって自分でどういう対応が出来、それが個人のBlogにどういう影響を及ぼすのかということだ。

 コメント欄にふざけた返事ばかり並ぶのなら一時閉鎖もありだろう。返す価値もないコメントにはスルーもするだろう。自分がはてブに出向いていってヘイトコメントにレスすることも出来る。そして、場合によっては自分のテキストを見直すこともあるだろう。そういう個人の出来る対応をしていないうちに、「おい、ここの管理者、ここはイナゴばかりだから駆除せよ、俺の住みやすい土地にしろ」というのは、私の中でアルファブロガーと認定していた人の言葉としてはあまりに残念な言葉だ。池田氏はイナゴと呼ぶけど、それ書いている人はみんな感情を持った人間ですから。頭のレベルは確かに氏より数段低いかもしれないけれど、なんらかの反感があって書かれているコメントも結構多いのだ。氏の場合、ただの罵倒コメントと反論コメントをレベル的に低いからといって一緒くたにしている可能性がある。それにレベルが高い人がただの罵倒コメントの「あほ、ばか、うんこ」に反応していることこそ、時間の無駄使いだ。「レベルが低い」と認定されたのなら、いっそ「はてブ」を見なくてもいい。いいじゃん、ネットで自分への反論意見をすべてピックアップすることなんてそもそも無理なのだから、自分のレベルに見合わないところは最初から相手せずに切っていこうよ。そしてそういう取捨選択を出来ない人であるのならば、そういう人を自分はレベルの高い人とは認めない。

 そして、「Goo Blog」も「Hatena Diary」も「はてブ」も所詮、紙やペンと同じただのToolですから。その道具を使いこなさないうちに、「その道具はダメだ、システムがダメだ」と言うのなら、残念ながらその道具はあなたに合っていないようなので、一時期それを手放してみるのも手だと思う。偉い人がBlogを書かなくなるのは、ネット界にとってはすごい損失だと思うけど*1、その本人のココロの傷の方が損失が多いのなら別にそこまでやってもらう義理もなければ、押し付けもしないよ。「お前らのせいで、危険とコストが見合わないと判断したレベルの高い奴がいなくなった。世の中、馬鹿ばっかりだ。」と訴えるのなら、そういう人は、そもそも『限りなく低いコストで自分のテキストを発信出来る』というネットの道具の特性を見誤っていると思う。本来、Blogは中傷される危険もあるが、それでもテキストを書かずにはおれない、自分の意見を言わずにはおれないという人が書く場所なのだ。コスト勘定の上に書かれた誰にも当たり障りのないテキストよりも、貧乏で苦しくとも、躍動した絵やストーリーを紬ぎ出さずにおれない漫画家や、自分のココロにある美を表現せずにおれない画家みたいな、なにか衝動に突き動かされたテキストの方がネット界ではきっとおもしろい。*2 人によっては意外な話かもしれないが、お金で契約されて書かされた偉い人のBlogや褒めることを前提にされた提灯記事は、ネットの世界ではあまりおもしろい記事が少なかったりする。それよりも、お金やコストに流されないその時々のライブ感やむき出しの意見こそがネットでは光り輝く記事になる。本の豪華な装丁もその人の資金も権威も通用しないネットの場では、医者でも学者でも学生でもNEETでも等しく平等で、そのテキストでのみ評価されるという考えは、自分がモヒカン族寄り過ぎるのかなあ!?

コムスンやNOVAの例をみてもわかるように、ベンチャーから成長した企業は、顧客を増やすことを最優先して、品質管理を後回しにする傾向が強い。そういう行動は今度のような事件を引き起こし、結果的には行政の介入をまねいてしまう。このままイナゴの増長を許していると、彼らとともにWeb2.0バブルが崩壊するおそれが強い。その前に、はてなが賢明な措置をとることを期待したい。

池田信夫氏やOYAJI氏の例をみてもわかるように、自意識が異様に成長した個人は、顧客を増やすことを最優先して、自テキストの品質管理を後回しにする傾向が強い。そういう行動は今度のような事件を引き起こし、結果的にはHatenaやYahooの介入をまねいてしまう。*3 このまま選民思想の増長を許していると、彼らとともにWeb2.0バブルが崩壊するおそれが強い。その前に、氏が賢明な措置をとることを期待したい。

 いや、さすがにここまでおおげさに思ってはいないけれど、テキストに合わせて改変したら言い方がきつくなってしまったかな。と、いうか「はてブ」などの場とかが、その場にいるユーザー達による自己浄化作用を促している時に、システム管理者が強制力を持って、ヘイトユーザーを投票であぶりだそうとするシステムは全てのユーザーにとって望まれる状態であろうか!?*4 私的にはあくまでも、コメントは各ユーザー自由につけられるけど、自分にとって相容れられそうにないユーザーを簡単に不可視出来るシステムの方が良いと思う。もちろん他のユーザーに迷惑をかける極端なネガティブユーザーは、Hatenaの管理権限として排除することは、運営上仕方のないことと思うが……。

 まあ、なんにしろ今回のネットイナゴ発言で優良種だけを選抜したい(もしくは意識しなくてもそれを実践してしまう)池田氏が山形氏の「ゴッドランドの経済学」に真っ向から反対する理由のひとつが見えたような気がした。それは経済学的に正しいとか正しくないとかの論理以外の、ある感覚的なところで両者に相容れないところがあるようだ。

*1:自分も池田氏のBlogが読めなくなったらすごく寂しい。氏の本も買ったことあるし、このネットイナゴの話以外は基本的にファンであるといってもいい。

*2:そういう意味では「はてなに集まるネットイナゴ」の池田氏のテキストはおもしろかったわけだが、その論にうなずけるかどうかはまた別だ。物議をかもしだしたという点では評価している。

*3:そもそもシステムに介入されたい人達なのか……

*4:e-bayやヤフオクのシステムは、オークションというお金のやり取りが発生するために担保として使われている側面が強い。このシステムをブクマとかBlogに使用していいものだろうか!?