caprinのミク廃更生日記

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これを書いた人を責めるわけではないけれども (Say::So?)

http://d.hatena.ne.jp/b_say_so/20070915/1189870062

激励を受けた子供は、自信をおぼえる。
寛容にであった子供は、忍耐をおぼえる。
賞賛を受けた子供は、評価することをおぼえる。
フェアプレーを経験した子供は、公正をおぼえる。
友情を知る子供は、親切をおぼえる。
安心を経験した子供は、信頼をおぼえる。
可愛がられ 抱きしめられた子供は、
世界中の愛情を感じ取ることをおぼえる。

 前半部分にあまりに囚われるのはもったいないことなのかも。どちらかというとこの後半部分を、自分が親となって子供を育てていく時にそう誓えばいいんじゃないかな。子供を褒めろ、正しい親の背中を見せろということだけなら、それほど非難を集める話でもない。親の不幸な生い立ちはどうであれ、自分の代から正しくしていけばいいんだから。

もともとは子供に愛情を与えましょうというつもりだったと言うことは知っている。これから親になる人に向けての言葉だと言うことは知っている。だけどその言葉を使って人は他人を傷つけるのだ。その言葉を知り、それを実践した親は、自分の正しさを証明するためにそうでない子供をわざと可視化するのだ。そして誰も批判ばかりされた子供を、殴られて大きくなる子供を、笑いものにされた子供を、皮肉にさらされた子供をたすけない。手は差し伸べない。もしその子がまっすぐに育ったら自分の正しさが証明されないから。

 で、頭で理解はしていてもどうも自分の中に落とし込めないみたい。「あなたが傷つく必要も人を傷つける必要もないんだよ」と言いたいけど、こういう言葉も誰かを傷つけてしまうのだろうか!? じゃあ、自分は何も語れないな。