caprinのミク廃更生日記

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格差社会の部分と全体 (萌え理論Blog)

http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20071230/p4

dankogaiさんの成功物語自体は素晴らしい話だけど、それを社会全体に適用したらいけないと思う。賃金体系がピラミッド状になっているとして、底辺から頂点に登れるから構わない、ではなくて、ピラミッドの底辺自体が沈んで窒息しそうだ、というのが問題なわけ。

そしてもちろん、人の役に立つのだから、ちゃんと働いていれば、中卒の土方でもどんな職業でも、最低限は喰える社会にすべきだ。経営者になれればいいけど、なれなかったら喰えない、ではすごく困る。今はそれが怪しくなってきている。最低限生きられればいいかというと、ちょっと病気をしたりするとすぐ転落してしまう、というのが問題なのだ。


■関連リンク [ロストジェネレーション] ロスジェネは誰と闘うのか (雑種路線でいこう)

http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20080106/lostgen

けれども僕は何のために誰と闘うのか。例えば経団連企業の経営者たちか。彼らだって世界中の競合相手と闘っているのである。例えば厚生労働省の役人か。彼らだって米国や産業界からの圧力に抗して労働者の権利を守るために闘っているのである。

そもそも同世代だからといって、後ろから刺される覚悟までして共闘したくないぞ。だいたい誰と闘って、何をどうしようというのか。共闘そのものが自己目的化している無責任って、彼が敵と公言する団塊世代の生き写しじゃないか。

思うに「闘え!」という連中を信用してはいけない。誰と何のために闘い、そして何を得られるのか彼らは一度でも明らかにしただろうか。矛盾は弱者に皺寄せされる、それは一面で真実である。けれども弱者が立ち上がって皺を管理職や経営者に押し返したところで、問題が解決する訳ではない。まずは結果的に彼らに皺寄せされた問題そのものは依然として残っているのである。

■関連リンク そこが微妙なところだろうな (finalventの日記)

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080106/1199578473

 弾さんみたいに社会的な成功者、というか内心は違うだろうし、その内心の部分で私なんかと共通的な世界観や人間観はあるだろうと思う、そういうスタンスからは、それは、なんというか身内的な近さのある人への言動としては有効かもしれない。

 でも、公的な場への言動としてはほぼ無効なのではないか。

 そしてそうした無効さが、反面では歪んだかたちで成功のノウハウのようなものに固まりつつある。

 人はたぶん凡庸だ。100人1人くらい物を考えるために本を読む。また、10000人に1人くらいが社会的成功につながる能力を示す。


■関連リンク 人間の価値を賃金の多少で差別したがるのは誰か? (404 Blog Not Found)

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50980489.html

人間の価値を賃金の多少で差別したがるものはかつてからいたし、これからもいるだろう。そして差別したがるものを最もよく見受けるのは、悲しいかな、それは今で言う「年収100万円」の層なのである。言葉を変えれば「ブービー」ということになる。「最後」から二番目。


■言及元リンク 【赤木智弘の眼光紙背】第14回:今年も流れは変わらないのか (livedoor ニュース)

http://news.livedoor.com/article/detail/3449968/

 社会の「同じ流れ」とはどういう流れだろうか?
 それは既得権そのものが膨張し、他者との格差をもって、各自の現状が以降も確約された社会に、今後もなっていくであろうという流れである。
 よく「格差の拡大」ということがいわれる、そうしたなかで多くの「格差を問題にする人達」は、富裕層が今まで以上に賃金を得る一方で、普通の家族を営んでいるような労働者が搾取されることに注視しがちである。
 しかし、この考え方だけでは現状を理解することは難しいと、私は考えている。
 富裕層の収入が上がっているのに、普通の家庭の収入は上がらないという「量的な賃金格差」以上に重要な問題とは、賃金そのものの価値が大きく膨れ上がり、もはや、賃金の多少のみで、人間の価値が決定されかねない社会になってしまっているという、言うなれば「量的な賃金格差から派生する、人間の価値に対する差別」という問題である。

言及リンク 自分がどんな生き方をしたいのかも決めずに世の中の文句を言うな (Attribute=51)

http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080106/1199604056

この手の話を読むといっつも思うんだけど、年収がいくらかなんてそこまで目の色変えて言うことなんですかね?
年収100万の人は、年収1000万になると、900万余計に使えると思うんでしょうか。
年収1000万の生活を支えるために、余計な出費はあるし、やれることは増えるけどその分選択肢も増えるし、
あれはあれで結構めんどそうだぞ、って思うんだけどなぁ。
年収が多かろうと少なかろうと、その生活に見合った苦労と楽しさが同じだけあると思うんです。

個人的にはこのデッドラインさえなんとか超えられたら、あとは「自分がどうやって生きていきたいか」にかかってると思うんです。
そりゃ年収は多ければ多いほどいい。
だけど、年収増やすことに一生懸命になって、
いざ死ぬ直前になったら、貯金してきた1億円を使い切れずに終わったなんてどうかと思うんですよ。
変な話、稼いだ金額を全部使い切って死ねるかどうかが大事かなーと。