caprinのミク廃更生日記

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マッチョ論から非モテ論まで

■バイキング式のレストランで給仕を待つ君たちへ (404 Blog Not Found)

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51018376.html

「宛名のない善意」というのは、バイキング式の料理にも例えられるだろう。ビュッフェ(buffet)。スモーガスボード(smorgasbord)。料理は確かにそこにあるのだが、給仕が自分のテーブルに並べてくれるわけではない。給仕は自分自身の仕事である。

近代社会の大きな流れというのは、料理の数が増える代わりに、給仕の数が減るという言い方もできるのではないか。無料のインフラは時代とともに充実していく。不況のときにさえ、いや不況のときにはさらに充実したりもする。私の子供のころは、すぐに思い浮かぶのは道路と図書館ぐらいだったが、今はそれにネットが加わっている。


■関連リンク 小市民の敵は、小市民

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51010743.html

その彼らに思い切って聞いてみればいい。「なんで僕にこんなひどい仕打ちができるんですか」って。

君の年収分を賭けてもいい。彼らにはそんな自覚ないから。それどころか彼らは彼らで「俺たちがこんなに一生懸命やっているのに、なんであいつは足を引っ張るんだ」、と思っているから。

自分以外の痛みというのは、それくらいわからぬもの。配偶者や親子ですらそうだ。母や私を殴る父には、そもそもそれが暴力だという意識すらなかった。言う事をきかない機械を殴って直そうとする意識の延長上にそれはあった。

繰り返す。自分の痛みは、結局のところ自分にしかわからない。いや、自分ですら全てわかっているとはいえない。それを他人に何とかしてもらうとしてもらっている時点であなたは袋小路に入っている。


■関連リンク 要は、勇気がないんでしょ? (Attribute=51)

http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080316/1205641886

彼は言います。
言い訳をして、さも「こういう事情なんだ、だからしょうがないんだ」って言うけれど、
勇気がない自分を必死になって正当化してるだけじゃん、と。
ナンパする勇気もないやつが、出会いがないとか言うんじゃない。

どうせナンパに行けば「ナンパで引っかかるような子は…」って言うし、
合コンにつれていけば「ああいう場のノリは苦手だし、そういうところに来る子と仲良くなれそうにない」とか言うだろうし、
社内のかわいい子を狙えって言えば「いや、彼女とは部署が違って交流がないし」って何かにつけて言い訳するんだろ?
だったら「自分には女の子に話しかける勇気がないんです」って素直に認めて文句言うんじゃねぇよ。
そっちの方が、よっぽど何かってときに力になりたいってと思うし、
つーか、できない理由並べて、今の自分を否定させずに、わかってもらおうとするその魂胆がだせぇ、と。


言及リンク id:guri_2という、こいつが生きているからこの世界は駄目なんだというような糞野郎を、このリルリルが貴重な時間を浪費して罵倒してあげる (NWatch ver.X)

http://d.hatena.ne.jp/Rir6/20080316/1205682434

別に僕は「上手い言い訳・理屈を作れ」と言っているのではありません。というかまぁ僕も非モテという話題は結構追いかけましたが、そんなに上手い理屈はありませんでした。ですが、それでも「言い訳・理屈」ではあります。つまり、相手を説得しようとする意志がある。例えばid:furukatsuid:heartless00のブログを見てご覧なさい、「言い訳・理屈」というのはこういうのを言うんですよ。そしてこの人たちは、自分の「言い訳・理屈」をより強化する、つまりより説得力を増すために、色々な知識を仕入れ、それを自分の頭で消費しようとしている。それに対してあんたはどうなのか?「自分が非モテである必然」について、何か知識を仕入れてきた?いや、知識がなくても良い、「どうして自分は非モテなのか」、休日を一日潰して悩んだりしましたか?あなたの発言を読んでいると、そんな「行動」をしたようには全く思えないんですよね。一体非モテを批判する自分と、「言い訳・理屈」を紡ぐ非モテ、どちらが真の意味で「行動」せずにうだうだしていたのか?一度自分の心に聞いてみた方が良いんじゃないでしょうか。

 ところで、なんでこの人「俺こそが非モテの王、異論は認めない」みたいなことやってるの!? ああ、非モテの理屈ではてな界隈では有名な人なのか。


言及リンク 非モテがモテになるために -「勇気」と「論理」の使い分け (Thirのはてな日記)

http://d.hatena.ne.jp/thir/20080317/1205755109

基本的に、僕たちは「勇気」を考える前に、まず「論理」を考えなくてはならない。だから、論理を考えることすら難しい人間に勇気を語る資格はない。そんな問題を、id:Rir6氏は提起してくれたように思えます。けれども「モテ」「非モテ」に限れば、この問題は「勇気」を行使することでなんとかなってしまう場合が多い(それは所詮「モテ」が人間の感情に立脚している問題で、感情でなんとかなってしまうものだからです)のも事実です。だからこそこの議論はいつまでたっても輪廻するのです。


言及リンク 「生き方の一般化」が無理過ぎる話 (不倒城)

http://mubou.seesaa.net/article/89991643.html

ここしばらく、「ポジティブ vs ネガティブ」であるとか、「生き方強者 vs 非生き方強者」という様な論争を頻繁に見る。

経済状況から現在の環境、好み、人間関係、果ては思考から性格まで無限のパターンが存在するのに、「ある人にとって適した生き方」が「他の人にとっても適した生き方」である可能性が、一体どれだけ存在するというのか。

世の中のあらゆるライフハックからは、「このライフハックは、飽くまで著者にとって有効だったライフハックであって、あなたにも適合するかどうかはさっぱり保証出来ませんよ」という但し書きが抜け落ちている。