caprinのミク廃更生日記

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誰が講談社現代新書を殺したか (404 Blog Not Found)

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51023951.html

カラーが焼けやすいということすら知らなかったのだ、この鉄砲玉は。しかも、カラーは色によって焼けやすさが異なる。鉄砲玉自慢のストライプは、数年で文字通り無残な結果となるのだ。

きちんとコストをかければこれを防ぐことも出来るし、実際、旧カヴァーの頑丈さはほれぼれする。合成紙で出来ていて、ちょっとコーヒーをこぼしたぐらいではびくともしない。杉浦装丁は美しいが、美しさにとどまらず、そこには「内容を守る」という明白なメッセージがあった。新カヴァーに、そんなメッセージは微塵もない。そこにあるのは、デザイナーの醜悪な自慰だけである。自慰後の始末に使うちり紙のデザインと勘違いしていたのかもしかして?

 脊焼けはデザインよりもインクとか紙の材質の問題にならないの!? 新旧デザインの優劣に関しては自分は旧デザインに思い入れがないので今の所保留。どっちもそれなりに趣があるんじゃないかな。例えば、車のデザイン、とりわけGT-Rみたいな思い入れの強いユーザーがいる車に顕著だけど、古くからのユーザーはほぼ間違いなく旧デザインの方が好きというじゃん。これも同じような話じゃないの!?(まあ、新デザインが昔からの本好きユーザーを惹きつけられていないというのは、それ自体が問題なのだけど。)
 あとパッと見だけど、昔のデザインの方が情報量が多くて、豪華に見えるという気はするな。シンプルかつ豪華というのを両立させるのはなかなかに難しい。ただ、昔と今じゃあ、デザインにかける予算というのもかなり違っていそうで、その責をデザイナーだけに押しつけるのはかわいそうな気がする。今回の場合、弾氏はカヴァーの材質も含めてデザインと言っていると思うのだけど、中島氏がその材質を指定したのかは分からないし、予算の都合上前よりも安い材質を使うことになったのかもしれない。


■関連リンク どうも、誤解だらけのWEBが、それも、自分が正しいという姿勢で、ただの無知であるのにも関わらず、書いているというのだ。 (中島英樹の日々)

http://nkjmdesign.exblog.jp/5792407/

例えば、僕がデザインしている講談社の現代新書。
ある友人から悪い噂を聞いた。
どうも、誤解だらけのWEBが、それも、自分が正しいという姿勢で、ただの無知であるのにも関わらず、書いているというのだ。
僕へのいろんな意見に対し、今までも、いろんな意見があって当然と思っていたが、特に今回のようなプロからの発言での、訳のわからない発言には、うんざりする。
僕のデザインは、料理に例えるなら、チンしてるだけととれる内容だ。

 弾氏がデザイナーから見て、無知で書いているというのは本当だろうな。でも、次のセンテンスの「プロからの発言」というのはちょっと何のプロを示しているのかが分からない。少なくとも弾氏はデザインのプロじゃないだろうし。もしくは、全然別の人のことを言っているのかなあ!?

味覚のない人にはそう感じるのだろう。
たとえば、表紙の文字組を、ただのカーニングと思ってるからそう思うのだろう。
だったら、ルーペを使って、比べて欲しい。
どんなシロートでも、比べたら分かると思う。
決して、普通では、たどり着けない世界が見える筈です。
すると、もっと他も見えるのです。
だから、うちでしか、出来ないように作っているのです。

 本を単に買う人は、ルーペを使ってどうこうなんて気にしないよ。デザインはそんなに単純なもんじゃないというのは分かるけれど。

今までの背表紙は、単に時間が経つと、退色して、タイトルが読めなくなってしまった色があって、決して、過去のデザインに敗北したわけではありません。
それに、僕から、今のままではネガティブキャンペーンになってしまうと、提案したのです。
だから、分かると思いますが、本の本来の姿は帯や表紙を取った姿なのです。
いままでと、ブレてないでしょ?

 私個人は、新旧のデザインで優劣があるとまでは思っていないけれど、本屋の立場から見て、講談社の新書が手にとってもらえる機会が減っているとしたら、それは目立ちやすさの点で優劣をつけられてしまうのかもしれない。また、本屋にとっては帯のついている、つまり売っている状態こそが本の姿と思っているかもしれない。「帯の無い状態こそ、本の本来の姿です」とデザイナーに言われても、本屋にとっちゃあ帯が付いている状態で売らなきゃいけないわけだから、「帯も含めてデザインしろ」とグチの一言も言いたくなるだろう。

普通は、心にしまっておくのが、粋なのだけれど、見えない(見えるけど)ところで公に悪口を、印象だけで発言するという事が卑怯と思うので、敢えて書きました。

 本当に馬鹿ですいません。自分は素人でデザインの本質ってものをよく分かっていないのだけど、デザインって、最終的には見た目の印象が全てじゃないのですか!?
 このフォントの配置が絶妙とか、カーニングの微調整とか、わざと崩すとかの様々な試行錯誤って、最終的には見た目を気持ちよくさせるためのもんじゃないの!? 作る側が、ルーペを使ってまで細かいデザインに気を使うのはすごいと思うけど、見る側がそこまでデザイナーの意志を汲み取ることはかなり難しいと思う。