caprinのミク廃更生日記

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持たない若者 (瑠璃青(LuLiAzur)の日記)

http://d.hatena.ne.jp/luliazur/20080405/1207402536

日々の小さな生活面に向けても、些細などうでも良いことにはこだわらない若い人が最近は非常に多いような気がします。無理して物を持つという、見栄が全然ないですよね。自分の住居にテレビがない、冷蔵庫がないということは私の世代では単なる貧乏の象徴でしたが、最近はそれとは明らかに違う意味を持っています。

団塊の世代と言われる、今60歳前後の世代、そしてその子供たちである30歳前後の人たち。そこまでの人々の価値観とは明らかに一線を画している世代が社会に出て来つつあります。(そのちょっと上の世代でもその先駆けといった感じの人たちも確実に存在します。)

むさぼらない世代とでも言えばいいのでしょうか、よくわかりませんけど、これは成熟した社会の一面を現わしはじめたんじゃないかなと、私は個人的にそう思います。そしてWelcomeです。

 物質的欲望に振り回されないというのはいいことだと思うのだけど、モノどころかヒトにもこだわりや執着のない人ばかりになると、それはそれで生きづらい世の中になるような気もする。会社にも執着しないということは、気に入らなければすぐ辞めていくということだし、モノを買わないということは単純に経済が停滞していくということだし、女性も求めないってそりゃ少子化も進むわ〜。以前に比べて、若者にお金が回らなくなったという事実を考えれば、物質的欲望ばかりを追い求めてきた上の世代には、文句の一つも言いたくなるけれど、この新しい価値観を持った世代、この人の言う「むさぼらない世代」にも何か別のメッセージを言わないといけないのかもしれない。「銭金」に出てくるような明るい貧乏さんみたいな、そういう人は別にいてもいいんだけど、そういう人ばかりな世界もやっぱりなんだかねえ……。もっとガツガツしろなんてことは言わないけれど、自分の中に少しはこだわりや見栄も取り入れないと、人生もっと楽しめないよ。

 あと、これとはあまり関係ないし、世代もかなり違うけど、政治家の二世さんみたいな人ばかりが、政治の中枢を担うのもリスクが高いわけよ。「自分には政治家しかないっ!!」という初代と違って二代目は始めからお金も地位もあるから、今の地位に執着しなくてもどうとでも生きていける。それこそ首相の地位にこだわらなかった*1元安倍首相のように「ボクチャン、嫌になっちゃった〜、首相辞めちゃうっ!!」で日本をあれだけ大混乱にさせても、自分だけはつつがなく老後を暮らせるのだろう。だけど、その政治の混乱で困窮していく下々の人間はたまったもんじゃない。ある意味、こだわりや見栄というものが無くなると、こういう仕事を途中でほっぽりだす人ばかりになってしまわないかなあ!?

 あっ、ちなみに自分が車を持っていないのは、こだわりがないからじゃなくて、お金が無いからです。(笑) 物質的欲望ばかり肥大化しているのも確かに苦しいぜっ!!

*1:厳密に言うと、親父のかなえられなかった悲願を達するまで「首相の座を射止める」ことにはこだわりがあったけど、首相の座についてからのその後の明確なビジョンというか、その地位に執着して「何を成すべきか」ということには、全くこだわりがなかった。それがあるんだったら、あの中途半端なタイミングでは投げ出さない。