電車男を支える人々は、なぜ、匿名性が希薄なのか (山田祥平のRe:config.sys)
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2005/0715/config062.htm
でも、電車男を支援する住民は基本的に『いいひと』たちばかりだ。だからこそ、そこに感動が生まれる。性善説で展開できる匿名社会もあることを表現しきれなかったストーリー展開は、ちょっとだけ残念だった。知っている人にはわかるだろうけれど、知らない人には想像がつかない。不特定多数の匿名集団を演出手法として表現できるまでには、まだ、作る側も、見る側も未熟で、時代に追いついていないということなのだろうか。
TV版や映画版の演出・構成は、そのメディアの特性によるもので良い意味でも悪い意味でも歪曲されているのはしょうがないと思う。私的には、おもしろければ良し。
また、TVを作る側の人間からすれば、ネットでの会社への誹謗中傷や芸能人の秘密暴露なんかで、インターネット(特に2ch)が性善説で成り立っているなんて思いもつかないと思う。フジテレビVSライブドアに代表されるように基本的にテレビとインターネットは敵対メディアだろうし、新旧世代メディアの戦いとも言えるわけで。どちらも取り込んだ方がいいのだけど、そこには旧来の利権で食っている人がいるわけで、その人たちを取り除かないと、テレビとインターネットの融合はなかなかうまくいかない。