caprinのミク廃更生日記

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「ネズミ踊り」どころか「アホ踊り」 (Die Weblogtagesschau laut dem Kaetzchen) (自ニュFより)

http://blog.goo.ne.jp/kaetzchen/e/c29595c4e1a7a8cf932a56bb18b9f129

 実際のところ,成人式でおしゃべりが絶えない・酒を飲んで騒ぐなど,真面目な実行委員会が主催しても結果としては同じことではなかったのではないのか? それならば,成人式など最初からやらなければ良い。しかも最後にはミッキーマウスの踊りまでついて,ほとんど幼稚園のお遊戯ではないか。それを形容して「ネズミ踊り」と書いた朝日新聞の「素粒子」氏の闊達な筆さばきには拍手を送るべきである。

 要するに,ディズニーランドのお膝元だからと言って,「ネズミ踊り」を成人式でしなければならない必然性は一つも無い。実行委員会の若者もその程度の企画力しかないということだ。それならば「ネズミ踊り」どころか「アホ踊り」と形容されても仕方が無いのではないだろうか。

 どこに政治的意図があるのか分からない。ただ、ネズミーランドの成人式が幼稚園のお遊戯というのは、まあそうなんだろう。浦安市長の抗議を曲解すると、お金になりそうにないNEET予備軍の若者を弁護したというよりも「浦安の宝ネズミーランドを大切にしてますよ。」というTDLへのアピールだと思えば納得出来る。将来ある者よりも今利益を上げている者を当てにしているのは現市長としては当然かも!? しかし、TDLはどうやったって1私企業のものだし、公民館などの公共性の高いもとは違うから、ここで成人式をやるのはやっぱり違和感がある。

 しかし、本来怒ったり抗議したりするのは、ネズミーランドで成人式を迎えた若者だろうが、反論する正当性も怒りの熱量とかも持っていないかなあ!? 「TDLを借りてやっただけであり、成人式自体はまっとうなものであった。」とかでもいいし、「こっちは真面目に成人式をやっているんだ、そこらへんの馬鹿と一緒にするなっ!!」という違う立場の若者からの怒りでもいい。でも、それらの意見って思いのほか見つけられない。ネット上の掲示板かなんかで「浮かれて何が悪い!?」とかの書き込みはときどき見られるのだが、成人式って私の感覚だとこれから大人としての責任に気を引き締めたりすることはあっても「いぇーい、俺はこれで自由だ。タバコもお酒も出来るしね。」なんてあまり思わないんだけどなあ…。(だって、たいていの最近の人はもうタバコもお酒も経験済みだろうし) それとも「この浮かれる現象」というのは、尾崎豊の『卒業』みたいに、「大人の支配からの卒業」とか思ってああなるのだろうか!? これは、15、16歳の若造なら許されることだけど、文字通り成人となった20歳では許されないことなんだけど…。
 将来に希望が持てないから、今を刹那的に生きるというのは、私もなんとなく理解出来る。だけど、それにしたって大人に用意された式で騒ぐんじゃなく、自分らが企画した2次会で騒げよ…。また、お酒を飲むことを社会が容認したとしても、酔いつぶれてそこらの道中ではかま姿で寝そべったり、綺麗な晴れ着でゲロを吐いていることまで容認するわけないじゃん、分かるよね、大人なんだからさあ。

 さてさて荒れる沖縄の成人式とネズミーランドの成人式は来年も要チェキですぞ。


・関連リンク 朝日新聞社1月10日夕刊記事「素粒子」についての抗議書 (浦安市 ニュースリリース平成18年1月臨時)

http://www.city.urayasu.chiba.jp/a012/b002/d00501229.html