caprinのミク廃更生日記

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げんしけん終了に寄せて (最強の伊織派blog)

http://sfrenatezze.com/ioriha/rnote.php?u=03otaku/genshiken.html

 最初の長いネタふりに笑った。そりゃ、そんなに邪魔されたら嫌いになるわな。(笑) というか、それは「げんしけん」本編というよりも「くじアン」が嫌いということでは!?

 で、その後もなかなか興味深いレビュー(厳密にはレビューというのとは違うかも)だった。「げんしけん」の中途半端なリアルさにひいたという意味では、伊織派Blogの中の人と私のこの漫画がイマイチだった根っこは一緒だと思うのだが、私は「げんしけん」にはむしろもっとヲタクにとって痛い漫画を望んでいた。それは「あ〜る」のようなファンタジーでもなく、ヲタクの自虐的なギャグとかでもなく、もっと現実的なヲタクの痛さを突きつけられるような鋭い漫画を見たかった!!(って、マゾかいっ!!)

 いや、この木尾士目氏って、前作の大学四年の就職前のモラトリアムを描いた「四年生」と主人公が留年してさらに痛さがエスカレートした「五年生」を読めば分かるけど、実はもっとリアル志向に向いた漫画家なんだと個人的には思っている。部屋の片隅に固定カメラを置き、そこで男女のやり取りを長回しで撮り続けるような「四年生」は短編ながら、男女の機微がしっかりしていて本当におもしろかった。(「げんしけん」が好きな人はこちらもぜひ読んで欲しい。) ただ、その後の「五年生」の鬱になるというか救いの無いストーリーからの反動なのか、アフターヌーンに合わせた客層をちゃんとマーケティングした結果なのか分からないけど、次の作品「げんしけん」は絵もちょっとポップな感じになり、基本的描写は引き続きリアルだけどちょっとファンタジー寄りの今のライトヲタクにやさしい漫画となっていた。ま、結果的にはそれが成功して漫画も売れたしアニメにもなったのだから、商業的には言うことはないのだけど、最後までキャラクターは漫画家の想定内というか手のうちにあり、別段暴走することなく主人公の卒業をもって綺麗に終わってしまったのが、自分にはなにか残念というか食い足りない感じが残っている。ま、各キャラクターを押さえ込んだという意味では木尾士目先生の力量は本当にすごいのだけど、個人的には漫画は連載を続けていくうちに個々のキャラクターが味付けされ明確な意思を持ちはじめ、おのおのが漫画家の思惑を超えて動き出す瞬間が一番おもしろいと思っているので、予定調和で終わったラストは個人的にちょっと気に入らなかった。いや〜、今まで十分楽しませてもらったのだから、私のただのぜいたくというのは分かっているつもりだけどね。

 うん、でもやっぱりあれだよ、「五年生」のヒロインとその不倫相手の正妻がナイフを中央に公園の長椅子ベンチで隣に座りあっている狂気を見たら、荻上のトラウマ独白なんてまだまだぬるかったというか、おいおいその後でねんごろですか〜!?と思って急激に冷めてしまったのだ。私的にはヲタの大野さんと一般人の咲ちゃんの相容れない一線の徹底抗戦とか、斑目が咲ちゃんに告白して、高坂と咲ちゃんとの間の三角関係修羅場とか、そういう「君が望む永遠」ばりの痛いシーンが無かったのが非常に残念なのだ。(笑) まあ、でもそうなったら「げんしけん」というヲタクのぬるい物語の範疇からはずれてしまうし、ライトヲタユーザーにとっては逆に反感を買いそうだからそういう展開は難しいか…。「奇面組」みたいに夢オチとかならずに、きっちり終わったというだけで評価しなきゃ駄目かやっぱ…。ということで、あとは妄想を爆発させた各同人誌に期待!!(おいおい)