caprinのミク廃更生日記

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規定された個性、その結果 (こてゆびミルクティー)

http://d.hatena.ne.jp/miz_k/20090225/1235515868

「やりたいことをやれ」と言われても、「なりたい自分」がわからない為に、またそのロールモデルも示されない。
なりたい大人がいない。芸人や女優はバカばっかり。
個性という言葉に振り回され、学校社会からドロップアウトしていった友人達もたくさんいます。彼らがどうなるか、どうなっていくか、今の僕にはなんとも言えません。そんな彼らの現状は、浪人という名のニートです。親から将来に対する投資を引き出したくば、既定路線に乗って勉強するしかないのです。

将来に対する明るい見通しも示されない社会で、学校のがんじがらめなシステムに縛られ、そのシステムの上で最低限要領よくこなすのが、残念ながら今の時代の大多数の学生の在り方です。将来に対して「若者が何をやっても変わらない」、そんなニヒリズムが支配しています。この点だけで言うと、学生闘争時代のエネルギーは羨ましくもありますが、今の社会を作ったのは彼らでもあります。彼らと違い、全入時代の今の大学生はエリートではありませんが・・・。
何が悪かったか、一カ所に原因を求めることもできません。ただ、この時代の閉塞感のようなものを打ち破ってくれる何かを、他人事のように待っているだけです。僕らには時代を変えるエネルギーがない。それは認めざるを得ない。


■言及元リンク いまどきの学部学生をクソだと思う一つの理由 (あらきけいすけの雑記帳)

http://d.hatena.ne.jp/arakik10/20090224/p1

 さて、彼らが生まれて今に至るまでの行動をそれなりに観察して気がついたことは、人間の脳は「はじめから自分で物事を考えようとしている…いきあたりばったりだけど」ということだ。「脳」という言い方をするとAHAおじさんのM氏を連想しそうだけど、二足歩行制御から言語の利用まで、ありとあらゆる場面で脳は「はじめから自分で」考えている。そして成長するというプロセスが「行き当たりばったりの中から、秩序らしいものを自分で見つけ、出力していく」ということに他ならないことを、いま目の当たりにしている。そしてそのプロセスは学問のプロセスとも似た部分がある。
そして考えることは「習う」ことではないよ。少なくとも教師から学生へUSBメモリの中のWordファイルのように「伝達できるもの」ではない。考えるとは「学生」が自分の内側にある世界を作る能力を自分の力で再発見し、秩序化し、繰り返しデバッグするプロセスだ。その意味では「はじめからバグのないプログラム」はありえないし、「先生」はそのプロセスを経てより視界の広い地点に上がるための「デバッガ」に過ぎない。