caprinのミク廃更生日記

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日本惨敗の責任は誰にあるのか (眞鍋カヲリを夢見て)

http://blog.livedoor.jp/meitei2005/archives/50702819.html

 韓国2試合目まで本当にいいゲームをしていたのだけど、最後の最後で負けちゃったね〜、惜しい。スイスの2点目は客観的に見てもさすがオフサイドだろう。なんかVTRを見たらいっぺん韓国DFに当たっているようだ。相手のパスであればオフサイドにはならないな〜。でも、それ以上にセンデロスの執念のヘッド1点目とスイスの守備が素晴らしかったし、フランスの意地とともにここでもアジア勢が勝ち上がるには高い壁があったように思う。これでアジア勢は1次ですべて敗退、フランスが首の皮一枚繋がって決勝トーナメントに進んだ。これはアジア枠を減らされる可能性もあるなあ…。しかし、チェコの敗退ぐらいがちょっとしたハプニングで他はすべて順当勝ちという1次に関しては、下克上のないある意味地味な大会になっていると思う。アジア勢が全滅した今、チェコに勝ったアフリカ勢のガーナに期待。まあ、古豪とか、強豪チームばかりが勝ちあがってきているので、決勝トーナメントには好カード目白押しで期待しまくりなんだけどね。残念ながら日本は良い結果を残せず敗退したわけだけど、日本が出場しない分、他の強豪チームを冷静に見られるはずなので、せいぜい楽しませてもらおう。

 さて、その日本代表、終戦を迎え、当然とはいえ戦犯がどこにあるのかNETやBlogで盛んに議論されている。でも今はみんなの頭が冷静になってこないと、なかなか建設的な議論にはならないなあと個人的には感じている。もちろんところどころで冷静な意見も見るのだが、なにかしらに怒りをためた声の大きい人、そもそも茶化すのが目的で議論することを拒む人、一方的に自分の意見だけを主張する人なども多いので、そういった良い意見がかき消されているようにも思う。誰もが日本代表のために良かれと思って言っているので、なかなか難しいことなのだけど、良い意見をうまく取捨選択したいもんだ。

 そして、このエントリの「監督の責任」なんだけど、もちろんジーコに責任の一端はあるとしても、ジーコに昔から批判が全く無かったということはないと思うけどなあ。トルシエには批判が集まって、ジーコには賞賛が集まったということもない。それこそ昔から加茂にしても岡田にしても、日本代表がゲームに負けるたびに一定以上の非難や辞任の要求が監督に集まるもんだ。ただ、その時の監督が辞任するだけで日本代表が良くなるのなら苦労はしない、あくまでも代わりの優れた監督がある程度の期間就任してくれて、タイミング的にも金銭的にも見合った時だけ監督交代が実現する。世の中には、そりゃあジーコよりも優れた監督はごまんといるだろうが、ベンゲルにしてもオシムにしてもヒディングにしてもじゃあその時、ジーコと代われたかというと、それはない。他の人気監督達もそれぞれプレミアムリーグなり、Jリーグなり、他代表のチームなりをやっているわけでその交代のタイミングはかなり難しいのだ。私もジーコを監督に選んだのが最終的にベストだったかは判断出来ないけど、当時のベターではあったように思うのだ。あの時点ではジーコほど日本代表を知っている人間もいなかったしね。監督を選び抜き、その人を信じて一蓮托生とすることのなんと難しいことよ…。

 そりゃあ、ね、次の大会こそはと個人的にはジーコの次の監督としてお金をいくら積んででも闘将ベンゲルにやって欲しいなんて夢想していたが、ヨーロッパ・チャンピオンズリーグアーセナルバルセロナに負け、その万が一も完全に無くなってしまった。でも、本当に次の日本監督は誰にまかせるのだろうか!?

 さてさて話がそれた。「ジーコ監督の責任」のそこまではそれで良いとしても、

 最大の理由は、日本代表が「商品」として成立したことである。
今や日本代表は巨大なマーケットになっている。
ユニフォームは売れ、チケットは高騰し、視聴率は鰻上り。
代表サポーターという名の「消費者」は、
「商品」である代表選手の時間を浪費し続けた。

 「消費者」とは、金を払うがそれ以上の責任を全く負わない存在である。
彼らは阿諛こそ受け入れるが、批判に耳を貸すはずもない。
解説者どもも、そんな「消費者」の走狗と成り果てていた。
これまたTVに出て金を稼ぎたいという私利私欲からだ。
彼らは皆、大衆資本主義の歯車に過ぎなかった。

 への繋がりが私にはあまり理解出来なかった。一気にマーケットや消費者に責任のターゲットが広がったわけだけど、ワールドカップそのものが消費するべくして生まれたお祭りであると考える私には、観戦者(=消費者!?)にまでその責任を広げたこのエントリの壮大さに驚くばかりだ。甘い見通しで躍らせたマスコミも楽観的に踊った消費者も、人によっては「くだらんねー」なわけだが、お祭りで踊るのがそんなに駄目かな〜!?

 そんな中、本来なら代表サポーターを名乗る権利のない消費者は、
結果的に日本代表で進行する癌をサポートしさえしていた。
ユニフォームを買い、代表試合のTV放送に協賛した企業の商品を買い、
代表に関する情報をマスメディアから買い漁った。
これらは全て、代表を商品として食い物にする勢力に寄与する行動だった。
これが、日本代表への裏切りでなくてなんだろうか?

 改めて繰り返す。

 代表のユニフォームを着ている消費者は醜い。

 協賛企業の商品を買った消費者は醜い。

 マスコミに踊らされた消費者は醜い。


 この洪水のように溢れる醜さの真の被害者は選手と関係者である。
そして、真摯にサッカーに関わろうとした真のサポーターである。
中村がうなだれ、中田が涙を隠す姿を見て、ジーコを支持してきた者は何を思うのか。
彼らの無念はいかほどだろうか。それが晴らされる時は来るのだろうか。

 このあまりに苦い「敗戦」を糧にして、
日本に真のサッカー文化が根付くことを願って止まない。

 「被害者なんていない、みんな勝者だっ!!」とキャプ翼みたいなことを言ってみるテスト。
電通が日本敗退の片棒をかついだ」の時にも思ったけど、みんなじゃあテレビで見るのが嫌なの!? サッカー観戦の時にビール飲みながら観戦したくない!? ユニフォームをみんなで着て応援した時の一体感は否定する!? 自分はもうおっさんなのでそこまで狂喜乱舞はしないし、道頓堀に飛び込む奴や敗戦の怒りにまかせて喧嘩する奴は馬鹿にするけれど、フェイスペンティングをして無邪気に応援する人達を否定したりはしないし、その熱狂はむしろうらやましく思う。サポーターは試合そのものに参加できないからこそサポーターなんだし、協賛企業の商品を躍らせて買ってこその12人目だ。企業の儲けがあってこそ、代表の周り巡って、代表の施設や環境が充実することもある。夏祭りの屋台があって「焼きそば¥600は通常のお店よりも高いっ!!」というのはそれこそ野暮ってもんだ。もとより観戦者である我々のサポートとは応援すること以外にたいしてありはしないのだから…。

 ここらへんの反論はこちら下を参照。自分も同じような意見だ。


言及リンク 「サポーター」という概念は、サッカーを消費させる為の都合のいい幻想に過ぎない (想像力はベッドルームと路上から)

http://d.hatena.ne.jp/inumash/20060623/1151072985

僕はこれを全力で否定する。これが醜いのは僕等が「消費者」だからではない。僕等に「消費者としての視線」、つまり純粋に「サッカー(商品)を観る目」がなかったからだ。

今現在、プロサッカーにおいて(というか全てのプロスポーツにおいて)、「商品」として消費されていないチーム・選手など存在しない。それら(彼等)は全て「消費されるべくして消費されて」いるのだ。望むと望まざるとに係らず。

そして、その「消費する」という行為こそが、唯一、僕等とそれら(彼等)を繋ぎとめる回路である。冷静になって考えよう。例えば貴方がJリーグのクラブのサポーターだとする。そのクラブに対して、貴方は具体的に何ができる?スタジアムに行って応援する。スタジアムに行けなければTVでその試合を観る。グッズを買って財政を助ける。感謝の意味を込めてスポンサーの商品を買う。これらの行為は全て「消費」と呼ばれる類のものじゃないのか?ここであえてサポーター/消費者を分ける意味はあるのだろうか。

と同時に、周りの「サッカーリテラシー」が足らない人達には、素直に「消費者」としての感想を伝えよう。自分の観たゲームがどれほど素晴しかったか、自分のお気に入りの選手がどれほど素晴しいか、貴方の言葉でもって伝えればいい。そしてちょっと余裕が出たら、地元のサッカーチームや高校のチームの応援にも出かけてみよう。もしかしたら、未来の代表選手が見られるかもしれない。別に「サポーター」なんて特権意識をなくしても、僕等はこうしてサッカーを楽しむことができる。これを「文化」と呼ぶのではないのかい?

そう、僕はもういい加減「サッカーの話」がしたいんだ。こんな内輪揉めではなく。次の代表チームの話がしたいし、今回の優勝チームがどこかっていう下らない話がしたい。メッシがどれだけ素晴しいか、リケルメが存在していることがどれほどの奇跡か、オランダが何故あんなにいい若手選手を育てられるのか、ラーションの素晴しさについて、スペインの理想の中盤について、クラウチのあの「ロボット・ダンス」について。

胸を張って言おう。僕は下らない「消費者」だ。でも僕は心からサッカーを愛している。

みんなもそうでしょ?

 ここらはまったく同意。日本代表が負けた今からでもこのワールドカップは楽しめる。世界の素晴らしいプレイをただ消費すればいいじゃないか。
唯一、反論するところがあるとすれば、クラウチのあの個人的にはむかつく「ロボット・ダンス」より(クローゼの前転もなんか嫌い)も、フィーゴの男臭がむせかえるような裏をつくドリブルとか、シェフチェンコやファンニステルロイのワンマンっぷりとか、でぶじゃない方のCロナウドの変なドリブルとか、レコバ様の不細工なわりに決める時にはすごい左とかを話したい。(いや、最後の人、ワールドカップ出てないし、不細工なのはサッカー関係ないから…) セレソンのタレント軍団やアズーリの連携、カテナチオなんかは言うまでもない。


・関連リンク 日本×ブラジル(1−4)(断片部 - kmizusawaの断片)

http://fragments.g.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060623


・関連リンク 選手過信したジーコ監督 自主性尊重、「時期尚早」 (asahi.com)

http://www2.asahi.com/wcup2006/news/TKY200606230564.html


・関連リンク 【W杯】中田英「話聞いてますか?」 記者の質問にブチキレ (痛いニュース)

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/706257.html


・関連リンク 中田泣けた、何やってんだ日本/F組 (2006年ドイツW杯:nikkansports.com)

http://germany2006.nikkansports.com/paper/p-sc-tp4-20060624-0022.html