アニメと実写の壁 (乳之書)
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アニメを実写化すると、どうしてこんなに違和感を伴ってしまうのか!?なかなかおもしろい考察だ。
アニメという人間の欲望を具現化すべく極力記号化されたキャラを、再度、実在する人を使って実写化しても、その人それぞれの個性が邪魔して違和感があるというのは、実は当たり前のことで仕方ないことなのかもしれない。原作がどんな人物であろうとも、竹中直人の演じる役はみんな竹中直人そのものだし、武田鉄也の演じる役はみんな金八先生に見えてしまう。「帝都大戦」の加藤ははまり役だと思ったけど、これはたまたまそのキャラにその人が似ていたというだけのことだよな〜。(アニメじゃないじゃん・・・)
キューティーハニーもキャシャーンも演じる人のバックグラウンドをある程度知っているので、アニメとの違和感は拭えなかったなあ・・・。
で、またまたアニメの話では無いので申し訳ないけど、違和感を払拭した稀有な例としてトールキン原作「指輪物語」の映画化「ロードオブザリング」はエピソードをうまく端折りながらも原作ファンを納得させる出来だったと思う。もちろん、すべての原作ファンを納得させることは出来るわけないのだけど、ちゃんと原作を知っている監督が、文の行間を読み取り、読んでいる読者の頭の中にある絵をうまく抽出していた。やっぱり小説だったら小説の、アニメだったらアニメの原作を吟味していない人に監督はやってもらいたくないよね。でも、こういうCGとかVFXとか、とかくお金がかかるもので今の日本じゃ難しいだろうな〜。
と、いうわけでハリウッドの大作主義の力技(主にお金で解決)で作る「エヴァ」は非常に楽しみだったりするんだけど、まあアクション映像はうまくいくとしても、今度は日本人とアメリカ人の意識の違いからくる解釈の違いで、人物像にかなり違和感が出来るのは覚悟しておかないといけない。