caprinのミク廃更生日記

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げんばくの日 (The Dialogue on the Diver’s Life)

http://d.hatena.ne.jp/murany/20050806

いずれにしても,広島の人は平和に対する意識が強く,それは主に原子力に関するモノに対して過敏に反応するというところに現れます.教育の力だなと思います.が,残念なことに「アメリカ嫌い」が多いのも事実なのです.本当に「平和意識が強い」人は少ないといえます.むしろ,「被害者意識が強い」と言った方が正確かもしれません.教育ビジョンについて再検討が必要だとわたくしは考えています.

 ここらへんの人の気持ちというものは、それぞれの立場があって変わるものだから難しいとは思うのだが、広島の人は「被害者意識が高く、平和意識が実はそれほど高くない。」というのはちょっとひっかかるのでトラックバックさせてもらう。今の広島の人が現実にそういう人ばかりであるならとても残念なことだなあ・・・。
 人の立場によって変わるというのは、やはり世代ごとの教育の差もあるし、それぞれが住む地域の歴史によっても異なってくると思う。例えば、終戦前に本土激戦区となった沖縄なんかは、広島と同じように「アメリカ嫌い」の人ばかりであってもおかしくないと考えていたのだが、知り合いの沖縄の人と話してみるとそのニュアンスは微妙に異なると感じた。なんでかな〜!?と考えると、今で米兵が沖縄にはたくさん住んでおり、そのアメリカ基地で働いている日本人やその駐留軍によってなんらかの恩恵を受けている人が、「アメリカ嫌いっ!!」とは現状でははっきり言いにくいからだと分かった。もっとも沖縄でも肉親を殺された戦争体験者はもっとアメリカを拒絶するだろうし、アメリカ軍人のレイプ事件があったりすればその鬱積したモノが爆発し、反米デモが起こったりするので、内情はもっと複雑だろうが・・・。
 だから、教育ビジョンが悪いというのであれば、あくまで公正な立場に立った事実を教えてくれる歴史教科書を作らないといけない。それは、パールハーバーを攻撃されたアメリカ人が一方的に悪いというのでもいけないし、原爆を落とされ結果20万人以上殺されたにもかかわらず妄信的に「私達が悪かったのです、反省します。」でもいけないと思う。無論、無駄に被害者意識が高いのは、真実の歴史からちゃんと学んでいなくて、韓国人が日本に対する態度のようにそのままでは良い状態にはならないと思う。

そういえば,家からR2に出たところ,平和を祈るロードレーサーが車を後ろに自転車をこいでいました.よく,こういう姿を見て思います.デモやチャリティー「運動」も団結感が生まれることと思います.でも,決して平和にはならないと思います.だって,人の内面に平和も戦争もあるのだもの.その内面の発露である行動の帰結が平和であったり,戦争であったりするのではないかな〜と思って,そんな「運動」に共感することがなかなかできません.

 自分も小学生の時に、平和のために一人折鶴を100個作って平和記念公園に飾りましょうという儀式には、当時あまり必要性を見出せなかったが、大人になって、というか今の時分になってやっとなんとなくアレはアレで必要なことなんだなと思うようになった。広島に遊びに来た大学生が飾っている折鶴を燃やした事件は、すごく嫌な気持ちになったしね。折鶴も平和を祈るロードレーサーもそれ自体にたいした意味があるのではなくて、それをきっかけにしてそれぞれが考えることが大事なことだと考える。だから、人の内面に平和があると分かっているなら、これでは平和にならないというんじゃなくて、共感は出来ずともただ見守ってあげて欲しいと思ったりするんだが・・・。偉そうでごめんなさい。