caprinのミク廃更生日記

初音ミクやVocaloid、ゲームやアニメのニュースサイト

「独り者」に優しい日本の社会(上) (Hotwired)

http://hotwired.goo.ne.jp/news/culture/story/20060303204.html

 だが、インターネットをあちこち覗いているうちに、欧米に暮らす独身者にとって、バレンタインデーは独り身でいることの不幸をあらためて思い知らされる日なのだということに気づいた。たとえば、あるネット掲示板(ここにリンクを貼るのはいささか無神経だと思うのでやめておく)では、あるコンピューター・プログラマーが、3ヵ月以内にパートナーが見つからなければ橋から飛び降りる、と脅迫めいたことを書いていた。あるいは、イギリスの『オブザーバー』紙の旅行欄で読んだ記事では、寄稿者のウィル・ハイド氏が、ロンドンとニューヨーク、それぞれの街で1人で過ごした体験の比較を行なっている。

 日本のバレンタインデーも大概だけどなあ。せっかくの日に、バレンタインデー死ね死ね団とか、その日にオナニー限界まで挑戦とか、馬鹿な企画をたくさんやっていたぞ。(えっ、楽しそう!?)

 たとえば、欧米でレストランに1人で入ると、往々にして迷惑をかけているような気分になる。空いている席(存在しないパートナーの幽霊が座っている)が目の前にあるからだ。本来ならそこにお客が座って、レストランとしては稼ぐことができる席なのだ。これに対し、日本の寿司屋やラーメン屋には料理人と向かい合うカウンター席があり、空間を無駄にすることなく、また目の前に幽霊を意識することもなく、1人で座って食事ができる。

 日本の街で予定のない自由な夜を迎えた独身者は、そうしたレストランやパチンコ屋、公衆浴場、マンガ喫茶メイドカフェ、カラオケバー、その他(さらに怪しげな)場所に行き、カップルでいなくても、社会参加している気分を味わうことができる。

 なんか日本は欧米の文化を飛び越えて、個々の世界、コミュニケーションが断絶された世界になってしまったことの裏返しの結果とも思える。


・続き 「独り者」に優しい日本の社会(下)

http://hotwired.goo.ne.jp/news/culture/story/20060306207.html

 だが、私が確信していることが1つある。1人で暮らし、働き、遊ぶという米国での最近のトレンドを考えると、日本の都市のような、独り者を歓迎する流動的な世界をまねることが、米国の都市のインフラにとってメリットとなるかもしれないということだ。そして、日本のそうした都市は、お金を持っている人なら誰にでも愛情を注ぐという企業や集団主義のキューピッドの精神によって活性化されるようだ。

 欧米の都市の歓楽街で、寿司やカラオケはすでにその地位を確保した。そして、ロサンゼルスでフリーな夜を過ごそうとする人が、今日の大阪のように色々なことを1人で――それでいて、他人とつながっている感覚も保ちながら――できるようになる日が来るのも、そう遠いことではないと思う。

 と、いうことは、お金を持っていない人は個人主義だともっと寂しくなるということだよなあ。
 しかし、個人主義の徹底した欧米の人の方がより寂しいというのは、私が今まで持っていなかった考え方だ。


・関連リンク 食と空間と人数と牛丼 (夢幻深花)

http://d.hatena.ne.jp/luceism/20060306

試しに数回トライしてみたのだが、向かいの空席の「機会損失」
ということでウエイターには渋い顔をされ、なんとなく落ち着かない。
しかも料理がコースで提供されるという習慣が追い討ちをかける。

一人でもくもくと食べる。別にそれはいい。
食べ終わる。フォークとナイフを置いて、次の料理を待つ。
沈黙・・・・・・ 
新しい料理が出てくるまでの時間の、なんと長く悲しいことか。
そして失意のまま料理を食べ終え、チップだけはしっかりと払い、
貧相な面持ちで店を後にすることになるのだ。

 海外に行ったことはないけど、その気持ちはなんとなく分かるなあ。一人の時って、ふっと開く間が嫌なんだよなあ。昔、カップル2組+私で遊園地に行かされたことがあるのだが、2組が観覧車に乗って一周している間の手持ち無沙汰というか所在の無さったらなかったよ。しかし、「貧相な面持ち」というのが、悲しくて痛いのだけどなんか笑ってしまった、ごめんなさい。多分、私が回転寿司に一人で行ったときも同じような顔なのだろう。カウンターがあるようなちゃんとした(回転しない)寿司屋は値段が怖くて別の意味で一人ではいけない。(スポンサーがいないと行かないよね、あそこ)
 ただ、空席を「機会損失」とする店の態度は嫌だなあ。店の態度は接客は無料と考える日本の方がまだマシなのだろうか!?