caprinのミク廃更生日記

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失敗を許容しない組織の衰退の実例? (発熱地帯)

http://amanoudume.s41.xrea.com/2006/08/post_251.html

ネットではジブリ崩壊論が盛んになってますね。一方で「宮崎Jr.擁護派」が色々書いてますが、「そんなにイジめんなよ」「そもそも後継者なんていないんだよ」「初めてであれだけやれれば十分だろ。俺は楽しめた」みたいな意見は見かけるものの、結局のところ、内容を絶賛している人っていないような。

 「ゲド戦記」は国民的アニメを作るスタジオジブリ作品としては一定以上のクオリティを維持できなかった。そして、この調子だと興行的にもかなり厳しいものになるのも容易に想像出来る。しかし、「つまらないものをつまらない」と個人がBlogに書くのが自由であるように、私はあえて「う〜ん、それでもそれなりにおもしろかったよ」と書きたいな。見るべきところはいくつかあった、映画としては未完成品ではあるけれど、少なくとも私は嫌いな作品ではなかった。

 それは別に宮崎吾朗監督を擁護したいとか、変に批評家気取りというつもりでもなくて、見終わったとき、わりと素直な気持ちで思ったんだよなあ。吾朗監督なんてこの映画が出る前まで、『なんかジブリ美術館で館長をやっているらしい』ぐらいしか知識がないいわば知らない人*1なので、別に無理に義理立てする理由はないし、自分のは映画をしっかり分析して書く批評というよりは単なる幼稚な感想だと思っているので、考えたことを書いているだけなのだが…。広がったストーリーを自ら回収もせずに絵の美しさだけでまとめあげた「ハウルの城」よりも、初監督がいっぱいいっぱいで絵もまとめられず、状況説明もままならず、ストーリーも回収し忘れた(回収せずにとは違うのがポイント)「ゲド戦記」では、無論完成度、洗練度では「ハウル」の方が上だが、ただ一点、志という点では「ゲド戦記」の方が高く、いっそすがすがしかった。まあ、「ハウル」」に関してももともと宮崎駿が監督をするつもりではなかったなど、同情すべき点も多いのだが、まとめる力はあるのにまとめることも拒否したような「ハウル」の作りは決して褒められるものではなかった。

 ブログなんかで、個人がおもしろくないというのは構わない。でも、みんながみんなして、「あ〜、つまんねえ、これはつまんねえ。」と作品がいかにつまらないかをトクトクと語っている状況の方が、私的にはつまんないことだと思うのだがどうだろうか!? それは、実写版「キャシャーン」やこれまた実写版「デビルマン」の映画公開の時に起こったような、いっせいの製作者バッシングで監督やクリエイターをへこますような行為であり、歴史はあいもかわらず同じような行為で繰り返されるものなのかと思ってしまった。自戒を含めて、批評が批判になり、批判が単なる罵倒になっていないか!?


 では、Yahoo Movieの意見をちょっと抽出してみよう。ブログ的に題名をつけるとすれば、「『ゲド戦記』をひどいという奴がひどい」

・お父さんの足元にも及ばない。
心の隅をかき回すようなワクワクはまったく得られなかった。そして、大事なところはちゃんとセリフで言わせてしまう始末。もうこの辺りになってくると、どうでもいい。こんな作品で“ジブリ””宮崎アニメ”という看板を掲げ宣伝していることを遺憾にすら思う。

・これは、「ゲド戦記」ではありません。
駿監督の息子たる吾朗監督には、確かに「原作を破壊する」遺伝子は受け継がれているようです。
しかし、後者「とにかく面白いものを作る」力は受け継がれてはいないのだと、深い失望と共に思いました。

・あえてジブリの作品が大好きなので厳しくいきます。
まず監督は、脚本の勉強から始めてみてください。何を伝えたいのか、誰にも感情移入できませんでした。感情起伏が起きません。映像と音楽を楽しめって感じでした。盛り上がりもなくだらだらとしてました。まず、子供が楽しめる映画では、ないし、かと言って大人からみても中途半端な作品に仕上がってます。テンポがない。

・【試写レポ】気をつけたまえ。ゲド戦記は…
見終わった後に残るのは、感動でも思考でもなく、「疲労」です。2時間の映画で、これほど疲れたのは久しぶりでした。むろん、良い疲れではありません。
厳しい物言いになりますが、宮崎吾郎監督の次回作は、見たくありません。

・これは酷い。。。
私はジブリはどの作品に対しても割りと好意的です。
ハウル」すら、「良作」として評価しちゃう甘い部分もあるのですけれどね(w
その私が言うんです。
「これは酷いwww」

・たぶんこれが本当の原因
20年ほど前、ゲドの大ファンだったパパ宮崎監督が、
原作者ル・グインにアニメ化を打診したところ、映像化権をアメリカの会社に売っているので無理だと言われたのだそうです。
その会社が作ったドラマには原作者が激怒。
その作品は今日でもあまり世に知られていません。

最近になって、ジブリの作品をくまなく見ていた原作者が、
(おそらく権利を売った契約の期限が切れたのでしょう)
ジブリにアニメ化してくれと依頼してきたのだそうです。

ところがパパ宮崎監督は、
「自分の今までの作品はゲドからすでに影響を受けていて、その要素を使っている。
今さら自分がゲドをやっても、過去のジブリ作品の焼き直しのようになってしまうだろう」
「自分はもう歳で、せっかくこの作品をアニメ化するのにもはや力を十分発揮できない」
といってお断りしたのだそうです。

ゲドはパパ宮崎さんにとっても神的存在のファンタジーだけに、
やるならきちんとやりたかったのでしょう。

ここでプロデューサ鈴木さんが、
「せっかくの話なのにもったいない」
と思ってしまったのが今回の惨劇のはじまりでした。

私自身は鈴木さんも能力のある方だと思うので好意的に考えます。
おそらく鈴木さんは、ジブリの将来を、
つまりポスト宮崎駿を考えたのではないでしょうか。
しかし今のスタッフの中でこの大作を任せる人がいない。
力量のある若いスタッフがいても、同じレベルの若者がいたら内部分裂してしまう。
だからあえて門外漢の息子さんを連れてきた。

鈴木さんとしては、スタッフがしっかり支えればそれでもいいものができると思ったのでしょう。

しかし問題はここからです。


ゲドの1巻は「自分探し」がテーマです。
ところがこの主題は、すでに日本のアニメ界では使い古されている。
そう考えた鈴木さんは、3巻から初めることを主張しました。

これに古参の実力はスタッフが反発。
せっかくやるならちゃんと1巻からやり、何作かに分けるべきだ(映画版ロードオブザリングのように)と主張。
結局ちからのある作画や色のスタッフなどが実質不参加となってしまったのです。

監督としてははしごをはずされたようなものでしょう。
演出能力がまだなくても、きちんとした絵を見せて客を安心させ、
映画界で地位を得る間にちゃんと勉強してね、
というプロデューサの計画は破綻しました。

しかしジブリの強力な宣伝能力によって、あっという間にかっこいいプロモーションが完成。
結果多くの観客が怒り心頭になってしまったわけです。

私はだれを責める気はしません。
今からでよいので、パパも、不参加のスタッフも総結集して、
何年かかってもいいからきちんとジブリのゲドを作り上げてほしいと切に願います。

あと海外の映画祭にだけは死んでも持っていかないでほしい。
「完成版」を持っていってください…。

 この話はちょっとためになる。

・一番辛いのはお父さんだね
作品を見た後であるからこそ心に引っかかるのは父宮崎駿の初号試写での行動です。
初号試写開始後1時間で席を立ったといわれる宮崎駿
その行為を考えれば、この作品がどんなものか予想はつくと思います。
長年映画作りに携わり、映画を作るという行為の根底に沢山の現場の人の苦労があることを誰よりもよく知っているはずの宮崎駿
そして自らも魂を削る思いで今までの作品に取り組んでいたはずです。
そんな彼であれば、映画の途中で席を立つということは、その作品に関わった人の全ての苦労を踏みにじる行為だということは十分に承知していたはずです。
であるにも関わらす彼は席を立った。その心中にはどのような思いがあったのでしょうか?
彼に多くの影響を与えた名作「ゲド戦記」。
彼にとっては特別であったであろうその物語が、自分の息子と盟友鈴木氏の手によって映像化されたその姿に何を思ったのでしょうか?
私の勝手な推察ですが、その後の宮崎駿はこの作品に対し、自らの正直な感想を語るべきか否か相当悩んだのではないかと思います。
自分が批判的なコメントを出せばそれは興行的マイナス要因となり、
今までともに作品を作り続けてきたジブリのスタッフ達と会社に対して大きなダメージを与える結果になるかもしれません。
よって彼がコメントを発するまでの空白の3日間が生まれたのではないでしょうか?私はこの3日間は彼の苦悩の3日であったと思います。
その結果、彼のコメントは「3日間考えに考えた。一言だけ。素直な作りで良かった」
確かに素直な作りではありました。息子さんなりに。。。
いいコメントだと思います。大人として立派です。皮肉でなく。

・ル=グィンに謝りたい
正直、ジブリアニメ化がここまで破壊的な力だとは思っていませんでした。「知恵なしに使った力は恐るべき影となって牙をむく」という原作1巻のテーマを、映画の中身以外のところで思い知らされました。

・真の原因は鈴木敏夫プロデューサーにあり
大半のユーザーが監督の宮崎吾朗氏に対して批判を書いているがちょっと待ってほしい。
確かに監督にも責任は有るが、今まで監督どころか映像作品に携わったことの無い素人を監督に据えればこうなることは判りきっていたはずだ。
では、それを行ったのは誰か?

スタジオジブリ代表取締役鈴木敏夫だ。

確かに彼の宣伝の腕はジブリにプラスになっただろう。しかし大きなマイナス要因になったことも事実だ。
作品を「ジブリ」というブランドで異常なまでに売り込む。話題性重視の為にタレントを声優として起用。美輪明宏さん、森繁久彌さんなどは舞台俳優出身ゆえ「声のみの演技」がとても上手く適役だったといえよう。しかし他のキャストはどうだろう。声の演技をあまり重視しないテレビドラマにしか出演しない俳優達の声に違和感を感じた人も多かったはずだ。その弊害は「おもひで」始まり、「もののけ」で加速し、「ハウル」で頂点に達した。そして「ゲド」では映像作品に関して素人の人物を監督に据えるという暴挙に出た。父親の宮崎駿氏でさえ、若い頃は「名探偵ホームズ」、「ルパン」、「コナン」といったTVアニメ、「パンダコパンダ」のような短い劇場版で経験を培ったのである。スタッフを引っ張るような発言力があったと鈴木Pは言うが、あの駿氏の息子なら誰だって少しは尻ごみしてしまうだろう。

結論として、ゲド戦記を、否、日本を代表するアニメプロダクションジブリをここまでにした鈴木Pの責任は重い。
ジブリの未来の為にも、鈴木プロデューサーにはゲドの責任を取るという意味で辞任していただきたい。

・いくらなんでもこれはないだろう…
まず一番に作画の甘さ…ジブリと思えぬ乱雑さ。
背景作画も甘ければ、動画作画も甘い。線も雑。ありえない。
雲ひとつとっても初期作品であるナウシカにも及ばない…なんだ?アレ…
場転の多さ・無意味さ…そりゃ長い話を2時間弱に纏めるのだから
多少その傾向が強くなるのは否めないかもしれないが、
それにしたって無駄に多すぎなんだよ…まるでコラージュのよう。
お陰で物語の流れはこの上なく悪い。ギクシャクものである。
そのくせ、ここはそんなに長くなくてもいいのでは?という所が
べったり長い…例の主題歌は2コーラス入り。しかもその間
映像はその場の情景だけ。もっと入れるべきシーンがあるだろうっ!
時間がないんだからもっと有効に使えよっ!

・おとうさん・・・まだ終わらないの?
子供連れならブレイブストーリーの方がまだましだと思いました。
最近見た中で一番ひどかった。
ジブリの歴史の汚点ですね。

 子供は正直ですね。

・映画、物語として成立していません。
本当、試写でよかったです。
お金を払う価値はありません。
監督の練習作として、金曜ロードショーの特別番組とかで放映されていたなら、
「こんなもんか...」くらいには思えたかもしれません。

・結論から言ってしまうと、駄目な映画です。
この映画に関しては、広告展開が派手だったことも失敗かも知れません。(広告の派手さに)期待した分だけ裏切られ、「名匠の二世はやっぱり…」というレッテルだけが心に貼り付けられる。
親の七光りではない、真のクリエーターが育つことを願いつつ、星2つ、です。

 このYahoo!Movieのユーザーレビューは「役に立った順」に並べているのだが、ここで初めて星2つが出る。この感想が出てくるまで全て星1つ。まさに最低ランク評価が並んでいた。

・お願いです、海外展開しないで
このがっかり感は日本の中だけに留めておきたい。
世界50カ国での展開予定は中止して欲しい。長い目でみればブランド価値を落とすほうが、ビジネス的にも損でしょう。
世界中の人のがっかりする様子を日本人として見たくない。

・痛々しい
ハウルでも思いましたが、いつからジブリはジャニーズと提携したんでしょうね?と皮肉ってやりたくなります。
昔からジブリは何人かの素人を声優陣に盛り込みますが、それが逆にいい味出してた頃もありました。
それは、決して主役には持ってこなかったからだと思います。
主役には、ジブリ作品の持つメッセージ性をしっかりと伝える力がある、表現力豊かな声優を毎回きちんと選んでいました。

今作はセリフを聞いていても、ただの棒読み、そして何かの説明にしか聞こえない。
感情、イメージ、重厚さ。全てにおいて軽いセリフにしか聞こえない。だから一番肝心な「深み」が伝わらない。
あーあ、やっちゃった・・・としか言い様がありませんでした。

まあ、セリフとかそれ以前に色んな意味で終わってる映画なので、これを世界に配給されたら確実に日本の恥だと思います。
原作者にも今のうちに謝っておいた方がいいんじゃないかな。

 声優に関しては同意。ちゃんと感情の出せるプロの声優を使って欲しい。タレントはゲストキャラとか友情出演にとどめて欲しい。

・この出来は、「文化的損失」クラスでは…
著名な海外文学作品が原作でなく、制作がジブリでさえ無ければ、
「巷に溢れる糞アニメの一つ」と笑われて済んだのでしょうが…

この作品がいわゆる「宮崎作品」ではなく、打算と世襲に肩を押された
門外漢の息子さんが作った事は、既に世間では広く認識されていると
思っていましたが、私の学校やネット上、さらには試写会場に置いて
さえ多くの人が「宮崎駿作品」と誤解されてる事にショックを覚えました。

ジブリと「宮崎作品」に禍根を残さないよう根本からの徹底的な手直しを
入れるか、最悪、海外への配給を取りやめるか…

ジブリファンとして、原作ファンとして、関係各位の真剣な対応を切に
望みます。

・海外50か国に対して申し訳ない・・・
できれば、父の手でなんとか作り直せないものか・・・
 国内公開も海外公開も延期して、少しでもジブリの良心を見せて欲しい・・・・
 お金を取り、2時間イスに拘束し、苦痛の時間を過ごさせるのはせめて日本人だけにして欲しいのだが。
 外国の方に申し訳ない・・・・ジブリ汚点映画。

世襲ではなく才能で後継者選びを・・・
 特にジブリのアニメは、これまでの成功作が子供から大人まで通用するという意味では、普通の映画よりも難しい面がある。また、アニメは現実にしばられず、自由に発想できるがゆえに、さらに監督の創造性や個性があらわになるので更に困難な仕事である。
 わたしは、駿氏の後継者の選択方法としては、衣服のキャラクターズブランドメーカーのデザイナー選びのようなやり方がいいと思う。
 すなわち、「ジブリのアニメ作品」というキャラクターブランドの監督または、監督候補の数人の助手は1作品だけでなく、10年単位で優秀な人間をもってくるのである。クラシックの有名楽団も指揮者の選考はそのようなやり方でやっている。
 そして、その選考ができる人物は駿氏しかいない思う。このままでは、ジブリはただの下請けになるだろう。
 血筋から名監督がでるほど監督は簡単ではない。稀有な才能はやはり、大きなピラミッドの頂点だけなのである。

 世襲は誰も望んでいなかったんだよなあ。それは駿も吾朗もだと思う。恐らく鈴木プロデューサーでさえも。というか、こういうひどい評価の掲示板を見て、誰が駿の後継になりたがるものか。宮崎駿はすでに対抗する人を失っているくらい大御所に持ち上げられおり、駿の片腕で後継と目された近藤喜文はすでにおらず、「時かけ」でスマッシュヒットを飛ばした細田守でさえジブリ内ではうまくいかず監督を降板した。そういう状況下で望んでか望まずか監督に祭り上げられた男に世襲はやめろ、監督も辞めろと言われてもなあ。と、いうわけで観客の我々は、ジブリに才能のある後継者が現れなかった場合は、きっぱりジブリの消滅を受け入れる覚悟をしないといけないな。残念なことではあるけれど。

・不愉快です
あのラストシーンだと
頭がおかしくなってる、、から罪をおかしても許される。
若いから、、やり直せる。
という風にしかうけとれませんでしたよ。

・・・!現実社会とそっくりですね!
そこまで皮肉って、この映画を作っていたとしたら
ある意味すごい監督ですよ、、悟朗さんは。
あのアレンの清清しい笑顔も本当に恐ろしく感じます、、、

とにかくこういう内容であれば、あんな宣伝をするべきではありません。
家族・子供連れで行くつもりの人は絶対にやめたほうがいいです。
あれで楽しめる家族がいるとすれば、頭がヘンになっています。
子供なんか、下手すればトラウマになるかと。。

あまりにも酷すぎて、これ以上犠牲者を増やしたくなかったので、思わず投稿してしまいました・・・

・感じたのは、二つの「恥」だ。
まず、鈴木プロデューサーの「恥」。
三大原作のひとつと言われる「ゲド戦記」のアニメ化のOKが取り付けたのは、「千と千尋」等での世界的評価に対する信頼の証として、ということは自明。であるなら、(誰が監督をやるにせよ)「そういうレベル」のものを提示することは、原作者への礼儀だろう。駿氏が恋焦がれ、作品化のオファーをし続け、やっとOKが出たら「ポッと出の新人監督」に任せてしまう、結果「酷評の嵐」…という体ではどう考えても原作者に対して、そして世界中のジブリファンに対して恥ずかしい。
そして、父・駿氏の「恥」。
もしこの仕上がりが息子の手によるものでなくても、世に出すことを承諾しただろうか?「素直なつくり」などと褒めただろうか?どうしても「楽天野村監督の親バカぶり」や「パロマの悪しき世襲体質」などとだぶってしまう。駿氏の誠実さを信じたいだけに、この裏切られ感は大きい。
こんなレビューを関係者が見るとも思えないが、ああ、この悲しみ、裏切られ感、ファンとして日本人としての「恥ずかしさ」は、伝えずにはいられない。

・外道戦記
アニメーション業界が崩壊しつつある。
人々はせわしなく劇場へ足を運ぶが、感動は無く、スクリーンに映っているのは悪夢か死か絶望のタレント芝居と特徴の無い平坦な演出の世界。

アニメの創り手の頭が変になっている。

「絵だけ綺麗で棒読みタレントキャストのアニメなんか大っ嫌いだ!」

もはやゴロさんが初監督したということと豪華タレント陣が出演する広告性以外、この作品評価に値しないのでは無いでしょうか?主演にもかかわらず、予告において(新人)とデカデカとテロップに表示され劇場に行く前から見るのを不安にさせた手塚さんですが、あまり問題は無かったです。

 果たしてこれはアニメの造り手だけの問題なのだろうか!?

 いや〜、なんか見ているだけでつらくなってきた。製作者が見ていないといいけどと思うくらいだ。というか、みんな日頃からいい映画やいいアニメばかり見ているのだろうなあ…。ジブリだけを見てアニメを語る奴には、劇場アニメ「ガンドレス」を最後まで見させてやりたい。あと、「耳をすませば」なんかも宮崎駿が監督をやっていると思っている奴も同罪だ、観ろ。*2
 まあ、私が思っている以上に、世間のスタジオジブリというブランドは絶対的なもので、ここがアニメ映画として劇場公開する以上は「おもしろくなければいけない」という命題を抱えているのだなあと思った。ジブリの中の人も大変だ。また、いつものジブリ顔じゃなくて、「猫の恩返し」みたいにキャラデザも違っていたらまだショックは小さかったのだろうか!? あの作品は割合スルーされているので、やっぱり吾朗監督がボンボンの2代目という要素が良くないのかもしれない。宮崎駿監督も鈴木プロデューサーも彼を監督にさせるのなら、もっと経験を積ませてからアニメ監督をやらせてよね。いきなりジブリ映画の総監督なんて、ホップステップジャンプのホップステップの部分を抜かしてジャンプだけをやらせたようにみえる。そりゃ飛べないってばよ。(笑)

 なお、自分が一番眠たくなった映画は押井守の実写映画「アヴァロン」とスクウェア渾身の1作実写版「ファイナルファンタジー」だ。(笑) それらと比べればまだ「ゲド戦記」の方が良かったのだが…。

うーん、だから「どうやって失敗させないか」ではなくて、「どうやって失敗させるか」が重要なんでしょうね。こう書くと、積極的に失敗させよう、陥れようとしているかのように読めますが、そうじゃなくて。フォロー可能な程度に失敗させる、より正確に言えば、フォロー可能な程度には好きにさせるのがいいんじゃないか、と。まあ本当に放っておくと、あさっての方向へ行っちゃうこともあるわけで、実際にはなかなか難しいんですけれども。

んー。色々書きたいこともありますが、それは控えておいて。ゲーム業界について、すごく大雑把にいえば、予算が低い携帯ゲーム機のプロジェクトを増やすのがいいんじゃないかと思いますね。「据置→携帯」シフトが進んでいる今は、人材育成のチャンスだと思います。例えば、重厚長大の極みをいくスクウェアエニックスなんて、もっと携帯ゲーム機のラインを増やしたらいいんじゃないかなあ・・・・。1本3年弱の大作RPGばっかりじゃ、そりゃ失敗できないし、人も育ちませんよ。

 ここらへんはほぼ同意。アニメ業界のジブリやゲーム業界に限らず、今の日本のたくさんの会社が「うまく失敗させて、若者を成長させる」という企業を良い方向に持っていけるリーダー人材の不足に悩んでいるように思う。それは、長い不況の間に人材育成の余裕が無かったということや、今まさに現役を離れようとしている団塊の世代個人主義尊重という建前のもと、無関心や部下の教育を怠ったこと、制度として欧米の合理主義を入れたはいいが、日本の企業の良い点まで取っ払ってしまったなどいろいろ理由があるのだけど…。
 もちろん若い方も若い方でよくないところもある。ゲーム業界でいえば、ナムコのテイルズシリーズの乱発なんて、プロジェクトごとにカンパニー制というか、ゲームソフトの売り上げに応じた出来高払いの制度にしたため、堅実に作ったらそれなりに数がはけるRPGしかも続編にみんなが流れた結果だろうしなあ。制度も悪いというか、現実の給料も絡むことなので部外者がおいそれと気楽なこともいえないが、若い人がまったくの一から新しいもの、本当におもしろいものに挑戦してやるぜっ!!というのがあれば、ここまで極端な同じようなソフト乱発にはならなかったようにも感じられる。そして、一番問題なのが、その大作RPGの乱発が本来のお客様であるテイルズファンにも失望を買っているということだ。

*1:その当時は「親の七光り」で就職かい!? 良い身分ですな…と意地悪く思ったけど

*2:耳をすませば」の監督は近藤喜文