「ググる」子供と、「ググれない」子供 (bpspecial)
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結構同意している人が多くて意外だった。いや、これって勝ち組親父の効率化重視のせっかちな意見だよな。
自由工作などはキヤノンのホームページからダウンロードした恐竜のペーパークラフトなどで済ませればいいし、学校の宿題もたいしたことではない。難問は、中学受験に備えるための塾の宿題である。
ま、受験対策の勉強であるために、効率化が最優先されるのは理解できる。(さすがに良い学校に入れようとすると大人でもかなり難しい問題が出てくるねえ。) しかし、自分もGoogleの検索を使いまくりだからかえって危ぶんでしまうのだが、子供が使い出すとGoogleで検索出来ることは全部それを安易に使ってしまわないだろうか!? 別の方法へのトライ、失敗の繰り返し、その途中で得られるプロセスも大事なはずなのにそこを飛び越えた知識が子供の血肉となるかどうかはちょっと疑問だ。もちろん中には、優秀な子供もいて1を教えれば10覚える子も、失敗が無くてもすんなり知識を吸収する子もいるだろう。でも、子供がGoogleに頼る答えの求め方は、大人が『夏休みの友』の一番後ろの答えを先に見ることをせっかちに薦めているようで、ちょっとそれで本当にいいのか!?と考えてしまう。
もちろん、Googleを使いこなせる人間と使えない人間(それどころかGoogleを触らない人もいるか)では使える人間の方が優秀だ。デジタルデバイドの問題は思った以上に大きいのだろう。だが、自分の部下に「ちょっと調べてきて」といったら、ちょろっと2、3分でGoogle検索してきて「ググッて分からなかったので、分かりませんでした」とシレッと言う人をこれ以上輩出してもらっても困るんだよねえ。あ〜、まあここに出てくるような優秀な娘さんはそもそももっと上流な会社に行って会うこともないのだろうけどね。
同じ学校に通う子供でも、インターネットが使える環境の子供は検索したホームページを“コピペ”(コピー&ペーストのこと)して、大学の論文級のレポートが完成できる。一方でインターネットが家にない子供は、図書館で何冊も本を借りて、それを読みながら自力でレポートを書く(コピペなんて荒技はできない)。一晩に数ページのレポートを書くのが精一杯だ。だから「デバイド」、つまり二極化が起こる。インターネットを利用できるのか、利用できないのかという、デジタル活用度の“貧富”の二極化が、子供の将来の“機会”の二極化につながるのではないかと、皆が危惧したわけである。
ここらへんは違和感あり。何冊も本を借りて調べた子供と極端に言うとコピペだけをした子供では、前者の方が血肉となった知識になっている可能性が高い。中学生レベルのレポートで分量の違いだけが重要になるとも思えない。それに、この人は今の大学生のレポートが、ネットで同じところを検索したため似たようなコピペばかりになっている現状を知らないのだろうなあ。
僕個人としての考えでは、小学校6年生になったら、どんどんグーグルは使わせた方がいいと考えている。少なくとも、娘やその同級生の世代が大人になるころには、インターネットと英語は必須の世の中になっているはずだ。しかも、インターネットの“世界”は危ないことが多い。だから、早いうちから親の監視下で、良いことも悪いことも経験させておいた方がいい。
ここは同意出来る所もある。ただ、Googleを使わせるのも良いけどそれは参照程度にして欲しいなあ。自分が親ならある程度の制限をかけたい。