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【解説】「ダビング10」騒動で、日本のコンテンツ市場を憂う (Computerworld.jp)

http://www.computerworld.jp/topics/move/115009-1.html

 なかなかよいまとめ。

 著作権団体が問題視しているのは、例えばレンタル・ショップでCDを借りてPCのハードディスク・ドライブ(HDD)にコンテンツを取り込み、CDを返却したあとでもそのコンテンツを利用したり、購入したCDをPCのHDDに取り込んだあと中古CDショップに売却したりする行為である。だが、これらは本来、著作権法に違反する行為であり、私的録音・録画の範疇を越えている。本来、CDを返却したり売却したりする際には、取り込んだ(複製した)コンテンツも消去しなければならない。しかし、現実にはそれを確認する手段がないため、代わりに補償金を上乗せしている。言ってみれば補償金は、妥協の産物なのだ。

 ダビング10が騒動になる以前、同様の問題に「iPod課金」(通称)があった。これは汎用ストレージのHDDにも私的録音・録画補償金を上乗せしようという著作権団体の活動である。しかし、iPod課金は実現しなかった。それは、すべてのHDDに補償金を上乗せするのは乱暴すぎるという意見が大勢を占めたからだ。例えば、HDDを内蔵したDVD録画機のように、すでに録画機として補償金を払っている製品の場合、HDDにも課金した場合には、補償金の2重取りになってしまうのである。

 このように、私的録音・録画補償金制度には矛盾が多い。さらに言えば、同制度が私的録音や録画で侵害された著作権を補償しているのかどうかも怪しいのである。

 第1点は「タイムシフト目的でもフィードバックは必要である」としている点である。わかりやすく言うと、「録画をすることで、ユーザーは好きな時間に録画したコンテンツを見ることが可能になる。しかし、好きな時間に好きな場所でコンテンツを見るのは、DVDやBlu-rayといったパッケージを購入した人の特権だ。私的録画はその特権を侵害する」と主張しているのだ。つまり、「テレビで放映される映画は、リアルタイムでの視聴にのみ制限すべき」という考えであり、すべての録画機は権利の侵害につながるという考え方である。「HDDに録画し、1回見たら消す」という人にも補償金の支払いを求めているのだ。

 おそらく多くの人は、「それほど大事なコンテンツなら、どうして放送するの?」と疑問に思うだろう。現在の大手民間放送局は、企業からの広告収入を主な財源とし、コンテンツは無料でユーザーに提供している。無料で放映されたものを録画するだけで補償金が課金されるというのは、ユーザーにとっては到底納得できる話ではない。大事なコンテンツなら、無料放送で提供すべきではない。もし提供するのであれば、無料放送によるパッケージの売上げ減少を計算したうえで、コンテンツの著作権者と放送局との間で放送権料を設定すべきではないだろうか。「技術的に私的録画できないことが保証されないかぎり、テレビ放送にコンテンツは提供しない」というのが、著作権者の利益を守る唯一の解決策である。矛盾の多い補償金制度で解決しようとするのはまちがっている。

もう1点は、深夜に集中的に放映されているアニメ・コンテンツの問題だ。日本映像ソフト協会は、「放送からの録画によるパッケージ・ビジネスに与える影響は大きい。仮に直接的な売上げ減がなくても、私的録画補償金が必要」であると主張している。つまり制作者側(著作権所有者)が放送枠を買い取って放送しているアニメ・コンテンツが録画されると、パッケージの売上げに影響する。だから私的録画補償金でその差分を埋めてくれと言っているのだ。

 この主張にも「だったら、どうして放送するの?」という疑問がわくだろう。さらに、「そもそも深夜に放映されるアニメ・コンテンツは、録画によるタイムシフト視聴を前提にしているものじゃないの?」という疑問も加わってくる。

 ダビング10の開始にあたり、一部の著作権団体は「コピー・ワンスではなくダビング10を許可したのは、著作権団体側が消費者の利益を優先させたあかしだ」と喧伝している(ように見える)。しかし、これはお門違いだろう。私的複製は著作権法で認められた行為であり、これを手柄のように主張されても困る。

 当然のことだが、10回のダビングが認められるからといって、ダビングした10枚のメディアを他人に譲渡したり、販売したりできるわけではない。コピー作業中のアクシデントなどを考えれば、消費者にとって1回しかコピーできない規制はとんでもなく不便である。しかし、同じコンテンツを10回コピーできるからといって、必要もないのにコピーをする人は(ほとんど)いない。消費者が望んでいるのは、同じものを何回もコピーすることではなく、私的利用の範囲内で2次利用できることだ。そして、それが自由にできないという点で、ダビング10は理想的な解決法からほど遠い。

現在、音楽業界ではCDの売上げが激減し、以前のようなミリオン・セラーが少なくなったと言われている。その原因の一端が、インターネットの普及にあることはまちがいない。ただし、それはインターネットによる不正なコンテンツ流通だけが理由ではない。Webページという“コンテンツ”の登場で、ユーザーがそのほかのコンテンツに割く時間とお金をシフトさせたことが主な原因だ。1日が24時間と決まっている以上、新しいコンテンツが登場すれば、既存コンテンツに割かれる時間とお金は減る。ちなみに出版業界は、音楽/映画業界以上に、インターネットの影響を被っている。

 音楽が売れなくなったもう1つの、そしておそらく最大の理由は、ユーザーが音楽に触れる機会が減っていることだ。インターネットの影響もあり、テレビの視聴率は以前と比較すると低下している。視聴率が下がればタイアップ効果も低下する。タイアップ曲が売れなくなっても不思議ではない。

 古くはCCCD(※7)問題、そしてiPod課金、コピー・ワンス、ダビング10と、技術が進化するに伴って著作権者側と消費者側との関係はギスギスした問題が目立つようになった。著作権者側が「著作権の侵害は文化の崩壊」と声高に叫ぶほど、消費者側にはしらけた雰囲気さえ漂う。

 本来、文化は受け手側が愛し、受け手側がはぐくむものであって、著作権者側から押しつけられるものではない。法制度での保護が必要な文化は、はたして受け手側に愛されていると言えるのだろうか。法制度で保護できるのは、「コンテンツの著作権保護」という「エコシステム」であり、「文化」そのものではない。

 一連の騒動で最も傷ついたのは、著作権者側と消費者との信頼関係だ。それがさらにコンテンツの衰退を招く。そんな悪循環だけは起こしてはならない。

 最後の文はおおいに同意したい。